秦新二、成田睦子「フェルメール最後の真実」

フェルメールについて記事を書こうと思って読んだうちの1冊。
本書は正確にはフェルメールについて、ではなかったけれどもめちゃくちゃ面白かった!

というのが、フェルメールの作品を日本に持ってくるべく、東奔西走しているプロデューサーの方が書かれた本で、内容もフェルメール展の裏側の話なのだ。

筆者の方が(共著とあるけれども、秦さんのお話っぽい?)が日本で初めて「フェルメール展」を企画されたとのことだが、この2000年の「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」展、行ったーーー!となったので更に興味がマックス。
長蛇の列だったと書かれていたけれども、学校が休校だった平日の昼間に一人で行ったら、あまり人がいなくて、いま展覧会で来たら近寄るのが困難そうな「真珠の耳飾り少女」すら、割と近くでじっくり見れた記憶がある…記憶違いだったのか…
そして書かれている通り、そう、あの頃の大阪市立美術館の周りはホームレスの人たちがたくさんいて、一人で歩くのが結構怖かったのを記憶している…

閑話休題。

裏側を知れるだけでも十分面白いけれども、その交渉の仕方など、すべてのビジネスに通ずるんではないか、というもので、そういう意味でも勉強させられた。
フェルメール作品という、各美術館や、その国にとって宝である作品を借りるためには並みならぬ交渉術が必要なのは想像に難くないけれども、ここに書かれていることは、どんな小さな私的なお願いごとにおいても、根本は同じなのではないかなぁと思ったのでメモがてら。

秦氏は個人的興味から、翻訳業のかたわら、ライデン国立民族学博物館のシーボルト・コレクションの整理を始め、ついにはそれを元に日本で「シーボルトと日本」展を開催する。
その縁から、ライデン国立民族学博物館の副館長クッツヘルト氏と懇意になり、氏がマウリッツハイス王立美術館の副館長に栄転すると、秦氏に「フェルメール展を日本でやらないか?」と持ちかける。
その裏には、オランダの国家的文化戦略としてフェルメールというミッションが課されていたのではないか、更にはマウリッツハイスの修復が必要であったので、そのバジェット確保のために…といった事情が予測されるが、秦氏は最初乗り気ではなかった。
特に、日本ではフェルメールがそこまで人気ではなかったからだ。

が、クッツヘルト氏のなかば強制的な後押しにより、フェルメール・シンジゲートの親玉ウィーロック氏に会うことになる。
ウィーロック氏はワシントン・ナショナルギャラリーの学芸員で、フェルメール研究の第一人者である。
気おくれしつつ…と言いつつ、初めて会った時がすごい。

少し打ち解けたころ、ウィーロック氏は「よく私の美術館に来てくれたね。じゃあ、ギャラリーに連れて行ってあげようか」と、私を展示室へと案内した。

「この絵をどう思う?」

この質問にきちんと答えられるかどうかが、運命の分かれ目だ。
私としてはフェルメールの話をしにワシントンまで赴いているのだが、彼の質問はそれだけに限らない。私がどれほどオランダ絵画について知っているかを、まずチェックするのである。

たとえば、フェルメールと同じオランダ黄金時代に活躍した、メインデルト・ホッベマという画家がいる。(中略)
それまでもホッベマについては少しばかり勉強していたのだが、ウィーロック氏のもとを訪れるにあたっては、ワシントンで所蔵しているオランダ絵画を調べ上げ、ちゃんとリサーチしておいた。

これはフェルメール・シンジゲートのなかにはいっていくための、通過儀礼のようなものだ。手ぶらで相手を訪ねて「フェルメールを貸してくれ」というだけでは、門前払いを食らっても文句はいえない。

p119-120

信頼関係を築くには、相手のことをリサーチするというのは基本中の基本だろうけれども、ついつい忘れがちなので、自戒の意味もこめて長くなったが引用してみた。

また、この「どう思う?」への回答も、さすがだなというもの。

ウィーロック氏が「どう思う?」とホッベマの『A View on a High Road』を指し示す。そのとき私は「この家を別の角度から描いたものが、マウリッツハイスにありますよね」と、『Wooded Landscape with Cottages』のことを話す。
するとウィーロック氏は「おっ、よく知っているね、君は。偉い」と呟き、これで私は「口頭試問」をひとつクリアしたわけである。

さらに、「ホッベマがこの村を描いた絵を全部、世界中から集めて、フィールドノートのように展示したら面白そうですね」と付け加えた。
すると、彼は「グッドアンサー」と一言いって、満足そうにするのである。

p121

この追加のコメントってちゃんとリサーチし、ただ知識を詰め込むだけではなく思考もしていないといけないことだろうから、そこまで深く理解しようとするからこそ信頼は築きあげていくことができるのではないかと思った。

ちなみにこの口頭試問は、この後も会うたびに行われていたそうな。
やはり学び続ける人にこそ信頼が高まっていくよな、と。

こういった相手を知るだけではない。
これも重要だなと思ったのが、貸し出しを断られて美術館に対しても、サポートを惜しまずに続けていたことだ。図録の作成や修復に関してなど、相手が必要としていそうなことを探してサポートをする。
それを貸し出しを6回も断れた美術館にも続け、最終的には貸してくれることとなった。
ただしてもらいたいことをお願いするだけではなく、こちらができることをしてあげる、というのも確実に重要なことだろう。

もう一つ、その世界の人間関係を知る、というのもキーポイントだなと思った。
個人同士で信頼関係を結ぶのと同じくらい、そのコミュニティの人間関係をよく知ることが、コミュニケーションを円滑に取る上で必須だなと。
これはちょっとめんどくさい部分だけれども、逆に、こんな派閥争いとかって日本だけじゃないんだ、人類(?)共通の争いなんだな、と妙に感心してしまった。
ちなみに、筆者の方は1回失敗されているけれども、関係も修復済(筆舌し難い努力をされたもよう…)とのこと。

最後に、東日本大震災後の展覧会にまつわるエピソードがよかったので抜粋;

(東北でも開催予定だったため、それ以前から貸し出すことが決まっていたものの放射線を懸念して躊躇していたアムステルダム国立美術館。ウィーロック氏が口添えしてくれた)

「ターコ(アムステルダム国立美術館の学芸員)、(『青衣の女』は)貸すのか?」

「いや……まだ分からない。現状では……」

言いよどむディビッツ氏を前にして、ウィーロック氏はこう語り始めた。

「9・11のとき、ニューヨークは大変なことになった。そのときも美術品の貸し出しに関して、みんな躊躇していた。ワシントンの展覧会に対してでさえ、そうだった。でも、最終的にはみんな貸してくれたじゃないか。それこそが私たちの力になったんだ。
こうした一番大変なときこそ、作品を貸し出す―それが、重要なことなんじゃないだろうか」

p212-213

フェルメールの貸し出しの裏事情とかあるのだろうけれども、やはり皆の根底には美術への深い愛があって、筆者の秦氏も「フェルメールを日本に持ってきて、できるだけ多くの人に見せたい」という情熱があることが、よく分かるエピソードだなと思った。

めちゃくちゃ面白かったので、長々書いてしまったけれどもこの辺でやめとこう…

こういった方々の情熱と努力によって、日本にいながら海外の良質な美術品が見れるというのは、本当に感謝しかない。


秦新二、成田睦子「フェルメール最後の真実」 2018年 文藝春秋

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