リンク
新聞の広告に出ていて、この対談者だったら面白そうだなーと思って読んだ本。
が、正直なところ期待外れと言ってもいい気がする…
内容は知らないことも沢山あって学びもあるんだけれども、これ対談にする意味あったかね…というくらい会話になっていない。
たぶん、これはお二人が悪いというよりも、編集が悪いような気がしてならない。
何せ、お互いが知識や見解を言い合うという感じで、二人で会話することによって生まれるはずのシナジーみたいなものを感じられない。
これだったら、対談ではなくて共著という形にして、まとまった文書にしても良かったんじゃないかと思った。
あと『美術は宗教を超えるか』というタイトルになっているけれども、そこまで大層なテーマではないかな…
「美術×宗教」みたいな話がメイン。それはそれで良いので、こんな大仰なタイトルにしない方がよかったんじゃないかなと思った。
一応、「美術は宗教を超える」という結論が提示されているが、若干無理やり感が否めない…
あと、ところどころに日本含めた東洋についても触れているけれども(仏教とか)、お二人はキリスト教や西洋美術がご専門なので、それに特化した方がよい気が。ちょっと浅い話になってしまった気がする。
という感じで、文句たらたらな感想になってしまったけれども、それでも学ぶところは多々あったので、簡単に抜き出すと…
- 美術の始まりは「目に見えないものを視覚化する」
- 「言葉にできないもの」を文字化したもの→聖書やコーランなどの聖典
- 「目に見えないもの」を可視化したもの→絵画などの美術
- したがって、美術を見るときは、目に見える絵画自体を崇拝するのではなく、
- 絵画という痕跡を通じて、絵の背後にいる「見えない神」の存在を知覚しなくてはいけない
- いかにして痕跡を通じて、神自身に到達するのか
- 例)部屋に漂うコーヒーの香りを言葉で表現できない。
- アナロジー(類比)でしか表現できない知覚を言語でそのまま表現するのは不可能
- それと同じく、人間は神についてそのまま語ることはできない
- イコンと偶像崇拝は何が違うのか
- イコン=「窓」
- 聖像は「窓を通して神に祈る」という行為
- 16世紀、プロテスタントの台頭によりおこったカトリックの改革の結果;
- イコン=礼拝や崇拝ではなく、崇敬の対象。聖人や聖物、マリアの像などもすべて崇敬が目的
- 「崇拝」=adoration, worship…対象は神だけ
- 「崇敬」=veneration…対象は聖物、聖画像も含む
- 偶像=中に神がいる
- イコン=「窓」
- ITとカトリックの意外な関係
- MicrosoftのWindows=「窓」
- アイコン=イコン
- ビル・ゲイツはカトリック
- カトリックは移民や難民の出身者が多く、アメリカのWASPから見て、学歴や教養のレベルで劣るという偏見がある
- アメリカの歴代大統領の中でもカトリックは二人のみ(ジョン・F・ケネディとジョー・バイデンのみ)
- カトリックのビル・ゲイツ…庶民にも分かりやすく、誰でも使えるコンピュータの開発を目指した
- Apple社:リンゴは「知恵の実」で、アダムとエバを連想させる
- クラウド・コンピューティング:「クラウド(雲)」=中世の神学者『不可知の雲』で示されるように知恵のシンボル
- 雲は吉兆の象徴
- 西洋絵画ではよく聖人や神の周囲に、雲がかかった光景が描かれる
- AIとバイオテクノロジーの宗教性
- AI・バイオテクノロジーの背後…「聖霊の働きによって人間が神になる」という信仰がある
- AIがめざすもの=人(神)の手によって機械(アダムとエバ)に知を授けること⇒人間が神になること
- バイオテクノロジー=「生命はデータの集積である」という仮説から、生物のアルゴリズム(計算可能な手続き)を解析し、データ(聖霊)の働きによって生命を操作しようとする
- AI・バイオテクノロジーの背後…「聖霊の働きによって人間が神になる」という信仰がある
- 日本とキリスト教
- 日本のキリスト教の普及…マリア信仰によるところが大きい
- 布教のためには、平明で分かりやすく、写実的で本物そっくりに見える絵画が効果的
- キリシタンの遺品で現存する9割近くがマリア像
- 遠藤周作曰く、日本人は母なるものに憧憬を抱いている⇒キリストのように「厳しく裁く神」には距離を置くところがあった
- 日本人の性格に気付いた宣教師は、マリアの慈しみを巧みに用いて、民衆の感情に訴えた
- 踏み絵について
- 仏教ではキリスト教のイコンと異なり、像自体を神と見なす
- 鎮座する仏像自体が衆生を守ってくれる
- 秘仏の発想…存在自体に意義があるので、わざわざ見る必要がない
- イコンは神を見る窓なので、秘仏のような扱いはあり得ない
- イコンが「窓」である以上、画像自体には霊的な力は備わっていない⇒本来、聖人や聖物、マリアが描かれた絵を踏みつけるのは問題ないはず
- ところが、日本の隠れキリシタンの大半は、仏像や仏画からの連想で、神の絵自体を「神」と考え、足蹴にできなかった
- 仏教ではキリスト教のイコンと異なり、像自体を神と見なす
- 日本のキリスト教の普及…マリア信仰によるところが大きい
- イコンを禁止したプロテスタント
- プロテスタントには、イコンの神学のような難しい話がよく分からなかったのだと思われる(佐藤氏)
- プロテスタントの宗教改革…当初は、無知蒙昧な運動だった
- それが機能し拡大するようになったきっかけ⇒科学の発達と啓蒙主義
- 世界一周・地動説の立証によると、「天」=「上」の概念が変わり、神をめぐる意味が変容した
- カトリック…科学の発展に対して、宗教的・霊的な真実と、科学的な真実は別物という説明を行う→説得力に欠ける
- プロテスタント…宗教の本質は直感と感情であると考え、神の場を「心の中」に設定→啓蒙的理性とたいへん折り合いがよかった
- カラヴァッジョの《聖マタイの召命》はさまざまな解釈ができるという話より
- 優れた絵画、文学や哲学のテキスト…必ず複数の読みができる
- しかも、複数の解釈がどれも首尾一貫している
- こうした作品に数多く触れるのは、社会生活を営むうえでも有益
- 会社や組織のなかで起きるさまざまなトラブル…文脈の見方を変えるとまったく別の見方ができる
- 他者の考え方、内在的な論理を理解するということになる
- キリスト教の創始者は誰か?
- 教祖はイエス・キリスト
- 開祖はパウロ
- キリスト自身は、旧宗教のユダヤ教を壊してゼロから新宗教を作るつもりはなかった
宮下規久朗・佐藤優『美術は宗教を超えるか』 2021年 PHP研究所
コメント