浮かれ気分の春に読む本ではなかったかも:丸山健二 「水の家族」


読む本リストを消化しよう作戦より、「水の家族」。

既にこの本の出所が分からないので、一体何に魅かれて読もうとしたのかすっかり忘れてしまった。
実は前も図書館で借りたことがるのだが、1ページ目くらいであえなく挫折。

二度目のトライである。

結果は、まぁ読み終わったけれども、ちっとも良さが分からなかったので惨敗といったところか…
本当に読むのが苦痛で、最後は斜め読み。
こんな文学作品を斜め読みしたところで、果たして“読んだ”と言っていいのか激しく疑問。

近親相姦の果てに家を出た主人公が、何年後かに死んでしまい、その霊がまた家族のところに戻る、というのが大筋。
しかもその主人公が語り部なんだから、読んでいる身としては、突然語り部が死んでしまい、そのまま家族のもとへと霊魂として戻って、あれやこれやつぶやいているのを読んでいる、という感じなのだ。

一つ特徴的なのが、折々に一行が断言的な文章が挿入されるのだが、読点で終わるのと、何もなく終わるのとが交互に出てくるというところ。ちょっと長くなるがこんな感じ;

 祖父は如何なる風にも動じない。
 刻み煙草を悠然とくゆらせる祖父は、視野におさまる限りの万物と、視界の外にある万有をあるがままに認め、形而上の問題も形而下の現象も等しく肯定し、四囲を隙間なく埋めている生ける者どもから延命の力を得ている。そんな祖父の頭上で眩く輝く太陽は、きょうもまた、餓鬼岳のずっと上の山腹に貼りついている鬼の雲形を大胆に融かし、崩している。
 草葉町に日没が迫っている
 きょう一日春を支えた太陽は、私をこの世に置き去りにして、二重に見える餓鬼岳の直後、あの世の際涯に向ってどろどろと落ちてゆく。(p55)

文章は割と好きなのだが、近親相姦というのと、脈略のなさでこの文章では、ただただ眠かった。
芥川賞作家の作品とは相性が合わないのか。


丸山健二 「水の家族」 1989年 文芸春秋

コメント

タイトルとURLをコピーしました