DER VORLESER = The Reader = 朗読者 = 愛を読むひと:ベルンハルト・シュリンク「朗読者」

随分前に、作者は失念してしまったがベストセラー本を読み辛口批評をしている本を読んだ。
その中で結構痛烈な批判を受けていたのに、怖いもの見たさなのか読んでみたいと思っていた本がある。そうしたら映画化され、この前のアカデミーにノミネートされ、確か受賞もした。
それが「朗読者」だった。

図書館で予約待ちかと思ったら(何せアカデミーで取りざたされたら注目あびそうだし)、驚いたことに借りられていなかった。まだ映画が公開されていないから?映画のタイトルがあまりに違うから、原作とは思わなかったから?

まあ、それはさておき。

確かに酷評されていただけあって、そりゃないよ、という話の流れだった。

ほぼ行きずりといっていいほどの15歳の少年を36歳の女性が受け入れるだろうか?
それで愛が芽生えるだ? 本書を読むかぎり15歳の少年は体目当てにしか思えない。
「胸を締めつけられる残酷な愛の物語。」といううたい文句のわりに、あまりにおそまつな恋愛過程だと思う。

と文句はタラタラなのだが、これを読み切れたのは「恋愛小説」という側面に目をつぶって、「第二次世界大戦後のドイツのナチスへの思い」を描いている小説として読んだからだろう。

あらすじは、主人公は15歳の時に21歳も年上の女性と関係を持つ。
そこんとこは読み取れなかったが、一応幸せであったが、主人公が年を重ねるごとに彼女の存在を隠すようになり、ある時彼女は彼の前から姿を消す。

それから再会するのは、主人公が大学で法律の勉強を始め、ナチスに関連する裁判を研究するゼミをとり、法廷へその裁判を見に行ったときだった。

その時、被告人として彼女がいたのだ。彼女は親衛隊に入り収容所の看守だったのだ。
裁判で中心となっている出来事は、空襲時に囚人たちを閉じ込めていた部屋の扉の鍵を開けなかったので、囚人が焼け死んでしまった、という事件だった。この空襲時に奇跡的に2人の囚人が生きていて、戦後このことを本にして出版したのが、この裁判のきっかけらしい。

彼女以外に4人の元看守の女性たちが被告人として裁判に臨んでいたのだが、裁判が進行するにつれて彼女は不利な状況へと追い込まれていき、ついには他4人の罪状をも押し付けられるかたちで無期懲役となってしまう。

その時になって、やっと主人公は彼女が文盲であったことに気づく。
そしてそのことをひた隠しにするが故に、彼女がどんどん不利になっていったのだった。

もちろん主人公は彼女が文盲である、ということを裁判官に伝えるべきかを迷う。なにせ、それがこの裁判のキーとなることが分かっているからだ。でも、彼女は自分の罪が重くなるにも関わらず、この事実を必死で隠しているのだ。

結局父に相談した時に;

「…(中略)…他人がよいと思うことを自分自身がよいと思うことより上位に置くべき理由はまったく認めないね」
「もし他人の忠告のおかげで将来幸福になるとしても?」
 父は首を左右に振った。
「わたしたちは幸福について話しているんじゃなくて、自由と尊厳の話をしているんだよ。幼いときでさえ、君はその違いを知っていたんだ。ママが正しいからといって、それが君の慰めになったわけじゃないんだよ」

p135-136

と言われ、何も言わないことに決める。(以下ネタバレあり)

最後の最後を言ってしまうと、恩赦がおりて彼女は刑務所から出てこれることになる。主人公は彼女のために住居や職を探してきてあげるのだが、その出所前日に彼女は自殺するのだ。

あ・と・あ・じ・わ・る~~~~~~~~~~~~~~~~~~

もうね、裁判官に言ったれや!!!とやきもきしたり、手紙書いたれや!!!と主人公の生ぬるい優しさにいらいらし通し。

パパの言うことは分かるのよ。そしてすんなりくるのよ。でも主人公の気持ちがあんまり伝わってこない。あんまりリアルじゃない。大義名分をふりかざして、ただの自己中にしか見えん。

というわけで、恋愛小説としては絶対読むべきではない。
最前も書いたが、“第二次世界大戦後のドイツ人のナチに関する姿勢”が描かれていると読まなくてはやってられないし、実際、その面では興味深いと思う。

例えば、その彼女と再開するきっかけになったゼミでの;

 思い出せるのは、ゼミの中で、過去の行為をさかのぼって罰することを禁止すべきかどうか討論したことだ。収容所の看守や獄卒たちが裁かれる根拠となっている条項が、彼らの犯罪行為を行われた当時すでに刑法に記載されているということで充分なのか、それともその条項が犯罪の起こされた時点でどのように解釈され、適用されていたかということが重要なのか?当時は収容所職員の行動が刑法に照らされることなどなかった点を重視すべきなのか?法律とは何だろう?法律書に載っていることが法なのか、それとも社会で実際に行われ、遵守されていることが法なのか?それとも、本に載っていようといまいと、すべて正しいことが行われる場合に実施され遵守されていることが法なのか?

p88

というシーンは印象的だった。

戦犯という言葉はもちろん知っているし、それで裁判が行われたことだって知っている。しかし、実際にそういう人たちを“裁く”ということは考えたこともなかった。

というわけでそういう面では興味深い本だったけど、いかんせん「胸を締めつけられる残酷な愛の物語」はないよなぁ

(ベルンハルト・シュリンク 「朗読者」 松永美穂・訳 2000年 新潮社)

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