トーヤ湖って洞爺湖のことなのだろうか?:鶴田知也「コシュマイン記」in「芥川賞全集 第一巻」

芥川賞受賞作品、第二作目は鶴田知也の「コシュマイン記」。

Wikipediaによると、2・26事件勃発の関係で、第二回は開催されず、この「コシュマイン記」は第三回昭和十一年上半期に受賞した作品となるらしい。

アイヌが舞台となり、松前藩と対立している様子が描かれているので江戸時代の話だろうか。
主人公はタイトルにもなっているコシュマインで、まだ赤ん坊の頃に、セタナの酋長(オトナ)であった父親が日本人に殺されてしまう。実は祖父も日本人に殺されていたし、自分自身も殺されそうになったのだが、母親と父親の部下と一緒に間一髪逃れることができた。

そうして期を待って、他の部族の者たちと一丸となって日本人と戦おうとするのだが、大人になって周りを見てみれば、若者は日本人に取り入るようになり、日本人反対派である者たちは既に年老いている。

絶望し涙したコシュマインは、母親と妻とで僻地に住んでいるのだが、そこである日、瀕死の日本人の労働者に会う。結局その日本人は死んでしまい、コシュマインたちは手厚く葬るのだが、その次の冬に他の日本人たちと知り合いになる。

そして仲良くなったかと思いきや……殺されてしまうのだ!!! あんぎゃぁあああ
こんな感じのお話で(つまり主人公が偉いところの子供で、その親は敵に殺され、主人公は命からがら周りの人の力を借りて逃げ伸び、逃げた先で武術などを身をつけて成長し、最後は仇打ちをする)ハッピーエンドに慣れてしまっていた私にとって、最後はものすごくショックだった。

しかも、祖父も父親も、そしてコシュマインも日本人に“騙し打ち”されてしまうのは、本当にショックだった。

外国から日本を見てみると、みんな髪の色や目の色、肌の色が同じもんだから、うっかり日本は単一民族の国だと思ってしまうが、実は全然そんなことなく、こういう過去があったんだ、ということを改めて感じる。

そしてこの作品はただ“日本人がアイヌ人にした仕打ち”を書いているのではなくて、コシュマインが日本人に手なずけられているアイヌ人を見て絶望するように、周りがいつの間にか変わってしまっていることのやりきれなさのようなものが、よく書かれているなと思った。

そのうえ、その者たちを諌めることなく、また神威の森を荒らす日本人に歯向かうことなく、淡々と見つめているだけで何もしないコシュマインから、彼の諦念が伺えて切なくなった。

話が前後するが、コシュマインがあちこち見てきて、父親の代の酋長にあってそれを伝えた時の酋長の言葉に;

「知恵が俺たちを敗かしたのだ。ブシ(鳥冠草)の毒矢より鉄砲が勝れているのだ。…(中略)…俺たちがオロッコ族より強いように、日本族は俺たちよりも強いのだ。俺たちは、石でなく金を自由にし、土器であなく陶器を作り、チキサニ(水楡)の衣でなく紡いだ衣を織り、伝承でなく文字を使い、刳り抜いた木舟でなく板の船を操り、足の下自然に出来た径でなく手で墾いた路をつけ、銭を飾り物としてでなく品物の交換に用いる理を知らなければ、もはや同族の運命はオロッコ族よりも惨めであろうお。コシュマインよ、俺は、あんたの父上とともに死ななかったのを常に悲しんでいる」

p82

とある。その後にコシュマインが隠居したような生活を始めるのだが、コシュマイン自身は何も語っていないけれども、それだけに彼の絶望を感じる気がする。

話自体は短かったけれども、内容が濃かったせいか、全然短編の気がしなかった。

(鶴田知也 「コシュマイン記」 in 「芥川賞全集 第一巻」 昭和57年 文藝春秋)

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