「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」@大阪市立美術館

行った日:2022/09/24
★★★☆☆
本日のBest:ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》

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全体的な感想

フェルメールの《窓辺で手紙を読む女》が修復後、世界初公開と聞けば、ミーハーな私としては行かないわけでにはいかず。
正直なところ、”17世紀オランダ絵画”ってフェルメール以外、レンブラントくらいしか興味がないのだけれども、”フェルメール””世界初公開”というパワーワードにつられてのこのこやって来てしまった大阪市立美術館。

んまー---やっぱりフェルメールって強いですわね。
先にWebでチケットを買っておいたからよかったけれども、当日券目当ての人は長打の列でしたわよ。
ちなみに、朝の時点で16時からのしか空いておらず、16時に行けばそれでも並びましたわよ。

そして中に入れば案の定、激混みでしたわよ。。。

何はともあれ、やっぱり正直に白状すると、フェルメールにたどり着くまでの”17世紀オランダ絵画”ってそんなに興味がそそられないな…

オランダがプロテスタントの国となり、むしろカトリックを嫌煙する状態だったため、宗教画というのは存在しない。
また、スペインから独立後、誰かが王様になったわけではなく共和国の形をとるため、煌びやかな宮廷絵画というのはない。
むしろ一般市民たちが裕福になったことで、彼ら向けに絵画市場は開かれ、それとともにテーマも一般市民に合わせられるため、「風俗画」というジャンルが確立。
となると…なんか全体的に地味なのよね…

しかも寓意を含めて戒めるためのものが多いからか、娼婦やら、娼館の仲介人やら、汚い恰好した人やらが多くて、見ていて美しいという感じでもない(娼婦もそんな美しくない)。

裕福な人々の肖像画だって、黒っぽい服ばかりで煌びやかではない。レースはすごいなと思うけど。

だから何だかなー---という気持ちで、人混みをかきわけ、じらされてじらされてようやくお目見えするフェルメールの《窓辺で手紙を読む女》。
そりゃあ素敵にしか見えませんよね、と思っています。
(ちなみに大好きなレンブラント、今回来ていたのはあんまり良くなかった。なんでか自分の奥さんを描くのうまくないよね、レンブラント…)

ただそこでふと思うのが、フェルメールは当時、人気はあっただろうけれども、ずば抜けて素晴らしいと賞賛されていたわけではない。
でもこういう展覧会で並べられている他の風俗画と比べると、明らかに色は鮮やかだし、光も美しいし、「フェルメールは素晴らしい感」はんぱない。
何故なのだろうか?

なぜ当時はフェルメールが爆発的な人気ではなかったのだろうか?現代の人とは感覚が違うから?
なぜ同じ世代の他の画家たちの絵は、なんだか地味でパッとしないのだろうか?それが当時のトレンドだったの?鮮やかな色にはあまり関心がなかったの?今で言えばけばけばしい感じ?
それとも、フェルメールほど修復にお金をかけていないとか?だからくすんで見えたままなのか?

などと疑問が湧いてくる。
ちょっと調べてみようかな…

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印象的だった作品

今回は図録を買っていないので、購入した絵葉書かの画像か、なければ画像なしになっているのであしからず…

ヘラルト・デル・ボルス《手を洗う女》1655-56年頃

本当に日常の一コマを切り取った感があって、女中さんが「はいはい、お気を付けて」とか言いながら水を注いでいるような臨場感がすごいなと思った。
顔がはっきり見えないながらも丹念に描き込まれている感じがして、それが臨場感に繋がっているのかなとも思った。

ドレスの質感がよく出ているのもすごい。デル・ボルスの《白繻子のドレスをまとう女》も同じような質感のドレスだったので、おそらく”質感すごいだろ!”と技術を誇っていたんじゃないかなと想像した。

難点を言うと、女性が真ん中に配置されているのが、ちょっと平凡な印象を与えるかなーと思った。

ハブリエル・メツー《火のそばでタバコを吸う男》1656-58年頃

暗い部屋の中で、右下に暖炉、左に蝋燭があり、中央に煙草をくわえた男、その後ろに女性が立っている絵。

部屋が真っ暗で、光源が2つありつつも多くが闇に沈んでいる状態。
この光源が2つあるのが面白く、左の蝋燭がなければ後ろの女性はほぼ見えていなかっただろう。
そのための蝋燭なのかなと思いつつ、暖炉と蝋燭の火による光が描き分けられている気がして良かった。

ヤン・デ・ヘーム《花瓶と果物》1670-72年頃

一時、こういったオランダ絵画の花の絵に興味を持って、色々とネット上で見ていたので、実際に見れて良かった。
もちろん以前も、こうした絵は見たことがあったけれども、興味を持った前と後ではじっくり見るのが違う。

右上にあるオレンジのチューリップ、その左下にある白とピンクのバラ、またその右下の下を向いたオレンジの花からプラムへ目が移り、プラムの枝が中央下を指すというS字のような動線になっている。

意外と花瓶がしっかり見えていて、そこが空洞のようになっていることで、目の満腹感を緩和させているのかなと思った。
かといって、例えば黒い花瓶とかではなくガラスの花瓶にしたことで、窓の映り込みや、花瓶にささった枝などが見える。まったく無になってしまうとブラックホールみたいに見えそうなところを適度に情報を持たせることで、他の箇所とバランスをとっているみたい。

基本的に絵の中央に光が当たっているように描かれているけれども、光の当て方だけではなく、外側の花はそもそも青色やくすんだ赤の花や果物、葉っぱを配することで自然と暗闇に溶け込ませている気がした。

ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》1657-59年頃

ここにたどり着くまで、幾度となくこの作品の修復についてビデオがあり、準備万端で対峙する。

修復後すぐだからか、色がとても鮮やかで、地味な絵ばかり見てきた後だと余計に”圧巻!”という感じ。
同時の人も鮮やかな色彩を楽しんでいたのだろうか。

フェルメールの光の粒も、きらきらとしていて、今まで見てきたフェルメール作品のなかでも特に光の粒の効果を感じられた気がする。
手前のカーテンの下の方から、その奥のテーブルクロス、女性の服や髪の毛、そして窓枠でもきらきらと光の粒がきらめく。
因みに、同じ部屋に、修復前の絵の模写が飾られているのだが、それを見るとフェルメールの光の粒がいかに素晴らしいかがよく分かる。

さて、今回の大目玉は壁にかかっているキューピットの絵。
なぜなら修復前は後ろのキューピットの絵はなくただの壁だったのだ。
ずっとキューピットの絵が存在していたことは分かっていたけれども、それはフェルメールが塗りつぶしたと考えられていた。
ところが、今回の修復時の調査により、これはフェルメールが亡くなった後に誰かによって塗りつぶされたことが分かり(途中の動画で、山田五郎さんが「一説では、フェルメール死後に”レンブラントの作品”としてポーランド王に購入され、その際にレンブラントはこうした画中画を描かないことから塗りつぶされたのではないかと言われている」と言っていた)、除去することになったのだ。

この修復にまつわる動画を見ると、壁に何もない方がすっきりしているように見え、むしろキューピットの絵があるとごちゃごちゃして見えそうだな~と思っていた。

が、実際に見ると全然!
おそらく前景が非常に鮮やかで情報量が多いのに対して、キューピットの絵は明度も彩度も低く、光の粒もなくて、壁とほぼ同じ感じだからだと思う。

あと、窓の部分が真っ白と言っていいくらい白く、それが情報量の多い部屋のなかで、眼の逃げ道となる空白になっているように感じた。
また、手紙を持つ手の描き込みが密高く、手紙を光が反射してまぶしいんじゃないかってくらい白いのもあって、モチーフの多い絵なのに、主題である手紙がしっかり見えていた。

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