空飛ぶ人って、なんだかシャガールの絵を想像してしまった:桜庭一樹 「赤朽葉家の伝説」


読書友達に強く勧められた「赤朽葉家の伝説」。

前にも桜庭一樹のエッセイを勧められて読んだけど、あまり魅力的に感じなかったんだよな~と思って図書館に行くと予約待ち。一応、予約しておいてその日は「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を借りたのだが、その時の印象は、“辻村深月に桐野夏生をちょっと足したものを薄くした感じ”というものだった。
面白いとは思ったのだけれども、そこまで魅かれないというか。

ところが

「赤朽葉家の伝説」!めちゃくちゃ面白かった!!!!!!!!

東京創元社が出しているのでミステリかと思いきや、そうではなく(一応なんとなく謎はあるけれども)、女三代記と言った方がよいのだろうか。
語り部の祖母から始まり、母親までの人生が焦点に当てられている。
祖母や母親、そしてそれを取り巻く家族がものすごい個性的で、それだけでも面白いのだが、何がすごいって時代がとてもリアルなこと。
まあ 私だって戦後社会から生き抜いてきたわけじゃないから本当にリアルかどうかは分からないけれども、空気というか雰囲気というかがリアルで、時代の評し方が的確。

ストーリーは三部に分かれていて、まず祖母の赤朽葉万葉、母の赤朽葉毛毬、それから語り部の赤朽葉瞳子の話、という態になっているが、その実第三部目の瞳子の話は、彼女自身の物語というよりも、二部までの話の総集編のようになっている。

舞台は山に囲まれた僻地(多分鳥取)。
そこの赤朽葉家というのは、昔から製鉄を生業とするその地方の旧家であり、山の上の屋敷は別世界と考えられていた。

万葉は山の民である辺境の人であるが、子供の頃に置き去りにされて、ある若夫婦に育てられる。彼女には未来を視るという不思議な力が備わっていた。

ひょんなことから、赤朽葉家の女主人に嫁にもらうと宣言され、本当に嫁となる。
そこで子供を次から次へと産むのだが、第一子である長男を産む際に子供の未来を視てしまったことから変わってしまう。

次は万葉の長女・毛毬の話。
彼女は非常に美人であり豪傑でもあったので、レディースに入る。けんかが非常に強かったので中国地方一を目指すこととなるのだが、親友であった蝶子の死をきっかけにレディースを抜ける。
その後の転身ぶりがびっくりなのだが、なんと少女漫画家になる。
しかも超売れっ子になってしまい、最後は過労死してしまう。

第三部の語り部の話は、万葉(彼女にとっては祖母)が死に際に「私は人殺しだった」という一言の真相を探すための話となる。
といっても、大した真相でもなく(結局人殺しではなかったというオチ)、謎自体もそんな重要そうではないので割とおざなり。

どちらかというと、この壮絶な女性二代の話をまとめるためにあるようなものだった。
こうやってあらすじを書くとなんの変哲もなさそうだけれども、筆致がすごい。
前述したように、時代の書き方がすごいのだが、例えばこんな感じ。
まず万葉の話の中で(既に万葉は赤朽葉家に嫁ぎ、子供がいる時代。1964年ごろ);

 一方で若者たちには、なぜだか退廃の空気が濃くなっていった。紅緑村の若者たちのあいだで流行りだしたのは、エレキギターやモンキーダンス、アイビールックと呼ばれる派手なファッションであった。海の向こうからやってきたビートルズに彼らは熱狂し、戦後の産業と経済を支えてきた村の大人たちはそれに眉をひそめた。同じ土地に住み、同じ家に暮らしてさえいるのに、若者たちと大人たちのあいだに溝ができていた。いつのまにか、彼らは同じ未来を夢見なくなっていたのだ。…(中略)…若者たちはみな、黒ずんだ肌をしてやせ細り、顔を合わせれば猛々しく議論した。その苛立ちは彼ら若い大学生たちだけのもので、ほんのすこし年齢や立場がちがえばもう共有できない、不思議な、青春の暗い奈落であった。

(p125-126)

そして毛毬の時代;

 毛毬が中学生だった八〇年前後という時代は、フィクションに浄化された“強い男”が紅緑村の若者たちを席巻したころであった。かつて、その親たちの世代が必死になって目指した、男らしい男、富らしい富はつぎにやってきたこの時に若者によって、目指すべきポーズ、フィクションに変えられて奇妙な形で文化の中に生き残った。中学にも高校にも、必ず「もっとも強い者」とみんなで決めた、総番と呼ばれる男子学生が一人はいた。その少年たちは本当に無敵だったわけではなく、仲間たちが互いに、無意識に、そういう物語をつくりあげていったのだ。

(p190)

まるで見て来たかのような書き方に、リサーチもさることながら想像力に脱帽。


桜庭一樹 「赤朽葉家の伝説」 2010年 東京創元社

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