会社帰りの空腹時に、食べ物の素晴らしい描写が苦痛でたまらなかった:長野まゆみ 「カルトローレ」

本当に久しぶりの長野まゆみは、本の交換会で「ハードボイルド・エッグ」と交換してもらった「カルトローレ」。
割と飽き飽きしてきていた少年愛的な話とは一転して、初期の頃のような雰囲気の話だった。
改めて長野まゆみの文章の美しさ、視覚的な美しさを感じさせる作品で、非常に満足だった。
どれをとっても美しい文章なのだが、例えば

外衣のへりがつくる波がたの影のなかで琥珀いろの睛を潤ませている。眼縁からひと粒の珠がおち、青い外衣のひだのなかにおさまった。なにかめずらしい香油をしたたらせたようだった。

(p100)

とか。

ちょっと「あれ?」と思ったのが、今まで読んできた長野まゆみ作品は、徹底して登場人物の名前が漢字の名前だったのが、今回は“タフィ”やら“コリドー”などとカタカナの名前だったこと。
なんか違和感あるな~と思っていたらこれだった。

物語はというとふわりとして取りとめないので、まとめるのが非常~~に難しいのだが、主人公はタフィ。

空中に浮かぶ<<船>>の住民だったのだが、その船もついに地上に降りることになり、<<船>>の乗員たちは適用プログラムを経て地上の社会に組み込まれていく。
タフィもその一環で、<<船>>の乗員が書いたという109冊の日誌を読み解くという任務をもらって、砂漠が広がる地域に越してくる。

そこで“ワタ”と呼ばれる民族や、同じく<<船>>出身の管理局の職員とふれあいつつ、暮らしていく、という話。

タフィの記憶が非常にあやふやなので、最後にはタフィの記憶も呼びもどされたりするのかと思いきや、そういうわけでもなく、割と何も解決しないまま終わるのだが、それはそれで全然いいと思わせる話だった。

物語を楽しむ、というより文章を楽しむ、という作品だった。
なにせ文章を読んでいると、美しい画がぱーっと目の前に広がるようで、この文章の美しさ、というのは視覚的な美しさ、に繋がるというのは、すごいことだと思う。


長野まゆみ 「カルトローレ」 平成23年 新潮社

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