しおりはやっぱり身近のものでした:三浦しをん「三四郎はそれから門を出た」

妹が三浦しをんの「人生激場」を持っていて、何気なく読んだら、あらま~おかしいじゃないの、あんた、という次第で彼女の本を求めて図書館に赴いたのでした。なんか、重くるしい本と平行して読むのに丁度いいし、しかも彼女の並ならぬ読書量に感服したので、本紹介が主となっているこの本を選んだのでした。
そんなわけで、メモりながら読んだこの本。図書館に行くのが楽しみになったぜ。あくまでも三浦さんのようには本を買わないわたくし・・・ 物が増えても困るし、お金もないしね


ちょっと面白いな、と思ったのは、しおりに関する小話でした。本当に汚いものまでしおりになりえるのね・・・ ちなみに私は、本のカバーをしおりにするのが大大大大嫌いです。人に貸した本でそんなことをされた日にゃあ~~~ 次に嫌なのがページをおるの。


ちょっと気になって、自分が使っているしおりを振り返れば・・・ この本はメモ用紙だったし(しかも人の電話番号をメモったの)、先のゲド戦記はガムの包み紙だった。つまり、しおりは身近にあるものでした。
かっこいいしおりを使って読書ってのも、かっこよさそうだけど、なんかそのまま図書館に返してしまう恐れ大だな。

最後に心に残った文。これだけ言い切れるほど、本通になってみたい・・・ ま、「冷静と情熱のあいだ」くらいで自慢するような人間じゃないけどさ;

「私、けっこう本読むんだー。『冷静と情熱のあいだ』はすっごくよかったよ」なんて言う、おまえらなんてみんな死ね。合コン中の男女を横目に、居酒屋で一人、苦々しい思い出ビールを飲んだことが何度あっただろう。私にとっちゃあ、読書はもはや「趣味」なんて次元で語られるもんじゃないんだ。持てる時間と金の大半を注ぎ込んで挑む、「おまえ(本)と俺との愛の真剣一本勝負」なんだよ!

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