煎餅布団探偵が書いたもの:坂口安吾「白痴」

先日読んだ、「安吾探偵控」を受けて、早速図書館で坂口安吾集なるものを借りてきました。その第一作目「白痴」。

なんというか・・・・ ここまで人間をひどく書いていいものなのか・・とただただ驚き、それでもって、なんというか笑いが出てしまいました。なんかこう書いたら、自分が非道のように思えてきたよ。

しかし、こんな「白痴」という題材で、一人の女をこけおろしにしているような作品なんて、近年の本ではないだろうなーと思ってしまった。てか、あったら、即効批判されるだろうし。ということは、言論の自由、と言われている中で、そういうのがないということは、上からの抑制がないと、道徳的な面で柔らかな規制というものがあるんだなーとだらだら考えてしまいました。

だってだって、主人公と“白痴”である女が空襲で押入れに隠れていて、女が恐怖心から泣いた時の、主人公の感想なんて;

もし犬の眼が涙を流すなら犬が笑うと同様に醜怪きわまるものであろう。影すらも理知のない涙とは、これほども醜悪なものだとは!

ここまで、“白痴”というものを丁寧に、というか遠慮もなく丁寧に描写して、それが主人公の“美”に対する執着を表すものだとしても(私が想像するに、そのためでしょう・・・)、これが成せれたのは、ある意味、時代の賜物なのかな、と少し思ってしまいました。

とにかく、“白痴”の描写ぐあいに、ただただただただ驚き、それでもって、新しい世界を知った感が後にやたら芽生える一冊でした。

あと「白痴」を読み終わって、はっと気付いたのが、もしかして文学と称される作品の戦争物って初めて読んだかも!ということでした(いや~ お恥ずかしい)。

向田邦子のエッセイだとかで読んだことあるけれども、お話で、しかも角ばった作品で読んだのが初めてのような気がしました。

その中で印象的だったのが;

戦争という奴が、不思議に健全な健忘症なのであった。まったく戦争の驚くべき破壊力や空間の変転性という奴はたった一日が何百年の変化を起し、一週間前の出来事が数年前の出来事に思われ、一年前の出来事などは、記憶の最もどん底の下積みの底へ隔てられていた。

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