“蛍”なんて名前だと、すぐさま「北の国から」を連想してしまう:麻耶雄嵩 「螢」


読書仲間の一人が、最近オススメの推理小説家に麻耶雄嵩を大変勧めていて、いつか読んでみたいと思っていたので借りてみた「螢」。
率直な感想を述べると、そこまで面白いと思えなかった…。
多分ぶつ切りで読んでしまった私が悪いのかもしれないけれども。

基本的に推理小説の中でも、館もの、孤島ものが好きな私としては、「螢」なんて館ものだし、嵐による外との遮断という点では孤島的なのに、そこまで…と思ってしまったのが意外。
一応どんでん返しものでもあったのに。

お話は、大学のサークルで廃屋や心霊スポットに行くというアキリーズのメンバーが、OBの館にやってきて合宿をする話となる。
その館・ファイアーフライ館というのは曰くつきの館で、天才バイオリニストであり作曲家が、突然狂って一晩にしてそこにいた10人を皆殺しにしてしまったという館なのだった。
それを事業に成功して若くしてお金持ちになったOBが買い取り、異常な執念により事件当時の様子を再現し、ここで合宿しよう、というものだった。
ところが、皆が集まって肝試しやらを興じた後、一晩明けてみると、その家の持ち主であるOBが何者かに殺されてしまう。
外は嵐で出られないし、館と下界を隔てる川も増水して橋は渡られないわで孤立化してしまう。
と筋も面白いし、夜中に読んだので怖かったのだが…
ここから激しくネタばれなので注意!

今回最大のポイントは、視点が誰なのかがぼんやりしていたことだと思う。
これが私の読みが浅くて気付かなかった、というのだったら哀しいけれども…
文章は一人称が出て来ないので、はっきりとした一人称の作品にはなっていない。
でも冒頭は、もう亡くなってしまった“つぐみ”という女性への想いに馳せている書きだしなので、一人称小説か?と思わせる。そのモノローグを打ち破るのが

「なあ、諫早。ファイアフライ館はまだか?」
 突然、後部座席から無粋な声が聞こえてきた。平戸だ。目の前に浮かんだつぐみの笑顔は、つぐみの思い出は、一瞬のうちに平戸の野太い声によって儚くもかき消されてしまった。

(p11)

といったふうなので、すっかり一人称=諫早だと思ってしまう。

それに追い打ちをかけるかのように、諫早とつぐみは付き合っていた、という事実が提示される。

ただなんとなくおかしいな、と思いつつ、そしてなんだかぼんやりした輪郭の物語だな、と思っていると、あれやというまにつぐみやその他を殺した“ジョージ”という殺人鬼は、殺されたOBだったという事実が判明するわ、その共犯者が諫早だと判明する。

あれ?諫早ってワトソン役じゃなかったの!?と思っていると、今度は諫早が自殺してしまう。

それでも一人称っぽい視点は崩されず、だれかと思っていると最後の最後で判明するのが、彼こそがOBと諫早を殺した真犯人だったいうオチ。

道理でこの人の存在が薄くて、なかなか出てこないからすぐ忘れてしまうよ、と思っていたはずだった。
他の登場人物の描写はよく出てくるのに、この人物に関しては平戸の台詞の中でしか出て来ない。
そしてなんだか焦点の定まらない、ぼんやりとした小説だな、と思ったのは、視点を騙されていたからだとも気付いた。

とレビューを書いていたら、なんだか面白い小説のような気がしてきたのだが、どうにもこうにも、なんだかよく分からずぼんやりとした感じで読んでいたからいけないのか。
あとこの視点騙しのからくりが、どうもすっきりしない、というか釈然としないというか。なんだか心地よい騙され具合ではなかったな。
とはいうものの、他にも麻耶さんのを読んでみようかとは思う。


麻耶雄嵩 「螢」 2004年 幻冬舎

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