夏目家に断りもなく千円札になってたとは驚きだ:夏目房之助 「漱石の孫」


実は漱石の有名な三部作を読んだことがないし、「吾輩は猫である」も完読したことがないけれども(何度も途中で挫折している)、漱石は割と好きな作家だ。
というか漱石という人物が好きなのだと思う。

きっかけはある年のお正月に、宮沢りえとモックンが共演した「夏目家の食卓」。その話の夫婦像に魅かれて(よく考えたら、それが好きだったから“伊右衛門”のCMも好きなのかも)、夏目鏡子の談をまとめた「漱石の思い出」を読んだ。

それから夏目漱石の随筆「硝子戸の内」も読み、大変気に入って何度も何度も読み返した。
そんなわけで夏目漱石について書かれた、血縁者のエッセイを目にとめると読んでしまうようになった。

今回は、漱石の長男の長男・夏目房之助氏の作品だ。
漱石の人となりが書かれていることを期待して読んだらがっかりする、ということは最初の1ページで分かった。
というのは、房之助氏にとって“漱石の孫”というレッテルは非常に迷惑であったということが明言されているのだ。

本書は、NHKの企画でロンドンにある漱石の元下宿先を訪ねる、というところから始まる。
行きつくまでは『こうしたら絵になるな』などと考える始末だったのに、元下宿先を訪ねた途端、言葉に表せられない感情が湧きあがってくる。
これは何か?
という自問自答からこの本書は成り立っているのだ。

つまり“漱石の孫”というレッテルが嫌でたまらなかった幼少期から、次第に受け入れ始め乗り越えていく過程を丹念に追い、最終的になぜ下宿先で、乗り越えたと思った漱石関連のことでこんな感情を持ったのか、という結論へ行きつく。

所感としては、漫画評論が大変面白かったので、先に房之助氏の漫画評論を読んでいればよかったと思った。
そうした方が、もっとこの本が面白く読めたと思う。
というのも、結局は“漱石の孫”である自分との対峙の記録であるから、房之助氏のことを知らないと、どうも感情移入できないのだ。
ただ好きなシーンが二つあって、それはどちらも鏡子夫人についてだ。

 祖母は、ときどきとんちんかんなことをいっては子どもたちに笑われたらしい。そんなとき、彼女がこういったというのだ。
「お前たちは、そうしてばかにするけど、お父さまはばかにしなかったよ。ちゃんと、やさしく教えてくださったよ」

(p234)

あと、漱石が留学中になかなか返信をくれない鏡子夫人に対して、寂しいから返事をくれ、という趣旨の手紙を送ったのは、「漱石の思い出」に出てきたので知っていたけれども、それに対する鏡子夫人の手紙を知らなかった。

<あなたの、帰り度なつたの、淋しいの、女房の恋しいなぞとは、今迄にないめつらしい事と驚いて居ります、しかし、私もあなたの事を恋しいと思いつゝけている事はまけないつもりです。御わかれした初の内は、夜も目がさめるとねられぬ位かんかへ出してこまりました。けれ共、之も日か立てはしぜんと薄くなるだらうと思ひていました処、中ゝ日か立てもわすれる処か、よけい思い出します。これもきつと一人思でつまらないと思つて、何も云わすに居ましたが、あなたも思い出して下されば、こんな嬉しい事はございません。私の心か通したのですよ。然し、又御帰りになつて御一緒に居たら、又けんくわをする事だ(ら)うと思ひます。[略]私は御留守中いくら大病にかゝても、決して死にませんよ。どんな事かあつても、あなたにおめにかゝらない内は死なゝい事ときめていますから、ご安心遊ばせ。>

(p236-7)

なんだかこう考えると、漱石も好きだけれども、漱石と鏡子の関係が好きなんではないかと思えてきた。。。


夏目房之助 「漱石の孫」 平成18年 新潮社

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