柴田よしきがすごいなと思うのは、色んなジャンルを色んなタッチで書き分けることができるところだ。
推理小説、ハードボイルド、現代小説、SFとジャンルを書きこなせば、例えば推理小説の中でもシリアスなのからコメディタッチのも書ける。
今回の「ゆきの山荘の惨劇」は推理小説の中でもコメディタッチで軽いもので、しかも主人公は猫という一風変わった形を取っている。
猫が探偵なのは、かの有名な三毛猫ホームズがいるが、今回は猫視点のお話となっている。
正直、推理小説のトリック部分や事件の部分は奇想天外な展開とはなっていない(何せライトな推理小説ですから)。
主人公(というか主猫公)の正太郎は、飼い主である桜川ひとみに連れられて山奥で開かれる結婚式に行く。
飼い主の同業、つまり推理小説家同士の結婚式で、そこで呼ばれたのも推理小説家や編集者。ごく内輪の結婚式となるはずだった。
着いた早々、花嫁であるひとみの友達に、今回呼ばれたメンバーについて、選ばれた理由を明かされる。
花嫁がデビューする前に投稿した作品が、今をときめく女流作家に盗作されているというのだ。そしてその花嫁の小説を渡したのは、今回招待された編集者の一人だという。
それを突き止める為に、花嫁とひとみは共謀して、その小説の殺人現場を再現する。
それはラズベリータルトにドクウツギが入っていた、というものなのだが(それが盗作作品の内容と微妙に異なる)、その怪しい芝居をうってあぶりだした人物を尋問している内に、本当に招待客の一人が血を吐いてしまう。
またもう一人同じ症状が出たところで、先の招待客は死んでしまう。そして続いて、もう一人も死んでしまう。
これは殺人なのか。
一晩明けてみると、花嫁も姿を消してしまっており、崖の下から死体となって見つかるのだった…
という話なのだが。
妙なところで感嘆すると思われるかもしれないが、出だしで正太郎が“猫”であると語られていないのがすごいなと思った。出てくる他の動物に関しても、しばらく何の動物か出て来ない。
これは一人称を使った時に困ったことになる点だと思うのだが、人間であったとしても男か女かを、一人称で書き分けるのは、ちょっとテクニックが必要だと思う(「私」を使う場合なんか)。
それが人外となると、それをどこでどのように明かすかがミソになると思う。
「吾輩は猫である」なんかは、ずばり一行目で“吾輩は猫である”と明言してしまう。
が、今回の場合は冒頭は
地獄だ。
(p3)
むし暑く息苦しく、そして真っ暗だった。
どうして俺はこんなところにいるんだろう……記憶が途切れていた。
確か俺は今朝、顔を洗ってから玄関先で用を足し、乾燥した食糧をぽりぽりと噛んで、
とここでやっと、人間じゃないな、ということが分かる。ペットだろうから、犬か猫とも判定できる。
そしてしばらくしてから、飼い主の『生きてるぅ?たまちゃん』(p4)という言葉で、猫だな、分かるのだ。
次に出てくる動物が、前に正太郎がいた家に住んでいた犬のサスケ。
サスケの場合もしょっぱなは、犬とは明言されていない。ただ“濃い栗色の塊が飛ぶように走って来た”(p16)だけ。よく考えたら、猫で栗色って使わないから犬と分かるかもしれないけれども、うっかり読み飛ばしても次で
俺はサスケの長い毛皮にぶら下がるようにして立ち上がり、サスケの顔を舐めてやった。
(p16)
と、正太郎との体格差がそんなにあるなら犬かな、と犬ヒントが出てくる。
決定打は
サスケになら数キロ先からでも俺の匂いがわかるのだから、無理もない。
(p16)
である。
でもここでも、はっきり“犬だ”とは言ってはいない。
そんな風にして、なかなか“吾輩は猫である”風な明言の仕方ではないのに、猫であるか・犬であるかを分からせている書き方が面白いな、と思ったので抜き出してみた。
柴田よしき 「ゆきの山荘の惨劇―猫探偵正太郎登場―」 平成12年 角川書店
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