どうしても“カドタ”と読んでしまう…:角田光代 「幸福な遊戯」


“疑似家族モノ”というテーマで読書会をやった時に紹介された「幸福な遊戯」。何気に初めての角田光代作品である。

本書には3作入っていて、どの作品も奇妙な女性が主人公となっている。
本当にざっくりとしたあらすじを書いてみると;

『幸福な遊戯』

男2人に女1人で同居することになった。恋愛関係は無し、というルールで。主人公の女性はその“家族”的なものを楽しむのだが、一人が出ることになる。それを必死に阻止しようとするがその甲斐も空しく出ていってしまう。二人で“家族”感を出そうとするのだが、相手の男性もその異常さに(多分)出ていってしまう。

『無愁天使』

母親が長期入院に入り、金銭的に抑制された家族(父・娘二人)。その母親が亡くなってから保険も入り、その抑制から解放された途端、お金を湯水のように使う家族。父親は旅に出てしまい、妹はその異常さに気付き家を出る。姉だけは物にあふれかえる家に住みつつ買い物をし続ける。

『銭湯』

銭湯に通う主人公の八重子は、都内の会社に勤めるOL。しかし学生時代には演劇にはまり、演劇で食べていこうと一瞬夢を見たが結局勤める。しかし郷里に住む母親には『演劇で食べていく』と言いきってしまう。自分の妄想の中に住むかっこいいヤエコと現実の自分の話。
この“銭湯”でちょっといいなと思った描写;

 自分の天分に見合った幸せという言葉が八重子の頭の中を旋回する。八重子の視線は音を立てずに実家の廊下をつたう。西日の差し込む和室は黄金色に光り、その黄金色に晒されながら隅でひとり背を丸め、幸福という文字を綴る母の姿が見える。(p169)

でも全体的に、短編のせいもあるのかもしれないけれど、奇妙でつるんとした話のような気がしてならなかった。
独特な女性、というのは嫌いではないのだが、その奇妙さが彼女たちの過去に直結しすぎて感慨があまり湧かなかった。なんというか、奇妙なのが簡単すぎるというのか。

角田光代 「幸福な遊戯」 1991年 福武書店

コメント

タイトルとURLをコピーしました