またもや、映画公開前に読み直した本;「魍魎の匣」by京極夏彦
実は、これを読んだのは遠い昔、高校一年生だった頃なんですが、なぜか、京極堂シリーズは二作目である、この「魍魎の匣」から読んだのでした。
今考えてもなんでこれから読んだんだろう・・・?
何がショックって、箱の中に人が入ってること。こ・こえ~~・・・ でもそれでいて、なんか美しいかもと思ってしまった。というのは、当事はまっていた漫画の一つ「あやつり左近」に出てくる人形、右近が箱に入っているのを見るのに慣れていた私は、美少女が箱に入っていても、きれいなんじゃないかなーと思ってしまったわけです。なんか、美少女=人形っていう意識が少しあったのかも。
しかし、「あやつり左近」を読まなくなって久しくなった今、改めて不気味さを感じてしまいました。しかも、左近は両手両足があったけれども、あれはないし!
二度目に読んで、衝撃的だったこと、二つ目として挙げられるのは、“も・もしかして・・これって歳とったこと・・・?”ということでした。
高校の時は、確かにあのぶっとさに楽しみを見出していたのに。
あのぶっとさを読むのが、全然苦じゃなかったのに。
どうして どうして どうして!!! なかなか進めないの!?
なんて長いんだ!って思ってしまうの!?
そして、京極堂のうんちくを早く終われ!って思ってしまうの!?
ああ・・・それが歳をとったっていうこと・・・? 持久力がないというか・・・
しかし、そこで京極マジック。
半分いったら、一気に加速しました。やっぱ おもろいわーー
そして、時を経ても変わらないもの。
私、やっぱり関口嫌いだぁぁぁぁああああああああ!!
私、やっぱり榎木津大好きだァぁぁあああああああああああ!!えのさああああああん!!!
憎悪と愛は変わらないのでした。
やっぱり、京極夏彦の文体は独特でいいなあ・・と思ったのでした。
グラフィック専門だったからか、字体からも雰囲気を出そうとしているのが分かるというか。
例えば、最後の文も、段々ズームアウトしていく感じがする;
「雨宮は、今も幸せなんだろうか」
「それはそうだろうよ。幸せになることは簡単なこ
となんだ」
京極堂が遠くを見た。
「人を辞めてしまえばいいさ」
捻くれた奴だ。ならば、一番幸福から遠いのは君
だ。そして、私だ。
榎木津はまた寝てしまった。京極堂は本を読んで
いる。鳥口はいさま屋と話をしている。
私は想像する。
遥かな荒涼とした大地をひとり行く男。
男の背負っている匣には綺麗な娘が入っている。
男は満ち足りて、どこまでも、どこまでも歩いて
行く。
それでも
私は、何だか酷く―――
男が羨ましくなってしまった。
(了)
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