トルコ人はコーヒーでなくてチャイばかり飲んでいたぞ:梨木香歩「村田エフェンディ滞土録」

「西の魔女が死んだ」を読んで持った、梨木香歩の印象は、「話はすごくいいけれども、文章がちょっと・・・」というものでした。それが覆されたのが「家守綺譚」で、日本に帰ったら、是非彼女の本を読もう!と思っていました。

それで手に取ったのが、この「村田エフェンディ滞土録」でした。

感じとしては「家守綺譚」の流れをくむもので(最後のキャラたちがちょろりと出てくるし)、ついこの間、トルコに行ったのも手伝って、すごく面白かった~~~~

淡々と話が進むこともあれば、真面目に話が進むこともあり、それでいて飄々としたところがあって、ぷっと噴出すところもある。

私の覚えているかぎりは、梨木香歩さんはイギリスに留学した経験があったらしいけれども、多分、そこから学んだ(であろう)異国籍の人達との共同生活、というものがうまく描かれているような気がしました。経験者として、その感じが出ているのがよく分かったからです。

それに、日本人に比べて他の国の人達の不器用ってのも、すごくうなずけるし。“両手とも左手なのではないかと疑うぐらい”という表現が最高。

話としては、第一世界大戦前、トルコ政府の要請で日本から考古学の研究員としてやってきた、村田某を主人公に、彼の日常が描かれています。彼の下宿先には、オーナーのイギリス人夫人、考古学者のドイツ人とギリシャ人、奴隷の身分のトルコ人、それからそのトルコ人が連れてきた鸚鵡が生活しています。突然、日本の大学からの要請で、村田は帰ることになるのですが、その後に、トルコで革命、第一次世界大戦、と起こり・・・

と、最高に面白い本だったのですが。
ちょっとだけ不満が。不思議系の話(おいなりさんとかサラマンドラとか)はあんまりいらなかったのではないか、と。特に、高遠とサラマンドラの関係がよく分からなかったので、出さなくてもいいんじゃないかな・・と思ったのでした。

それでもやっぱり、いいお話で。特に最後は泣いてしまいました。

私もこれから何年も経って、あのイギリス生活が、もう手の届かないキラキラしたものとなってしまうのだろうか、と思ってしまいました。(ま、村田さんと経験したこととは、全くもって違うけれども)

ディミィトリスの言葉;

テレンティウスという古代ローマの劇作家の作品に出てくる言葉なのだ。セネカがこれを引用してこう言っている。「我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要な者に手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない』と」。

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