北村薫が覆面作家だったころ、彼は女性だと信じて疑わなかったので、初めて写真を見たときの衝撃は今でも忘れません。今は、北村薫は男だと知っているのですが、それでもやっぱり、彼の作品を読むと、女性が書いている印象が拭い去れないのは私だけでしょうか。別に女々しい、と言っているわけではなくて、文章がきめ細やかで、雰囲気がどうしても女性っぽいわけです。
なんて偉そうなことを言っておきながら、実を言うと、彼のデビュー作であり、代表作ともいえる、円紫さまシリーズを読んだことがないのです。正確にいうと、読了したことがないのです。つまり挫折をしてしまったという・・・
な~んか苦手で避けてきたのですが、もう一回トライしようと思って、図書館に行ったのに、第一作目がなく。仕方がなくて読んだのが、「冬のオペラ」。
そんな本に悪い理由で読んだのですが、面白かった。
前作の「生首に聞いてみろ」に比べたら、なまぬるい推理小説ですが、ふーっと一息つける本でした。
読書の醍醐味は、私にとっては、色んな沢山の人生を体験できる、というものなのですが、それともう一つ。作品によっては、読むことによって、お風呂に入ってるような、ほっと一息つける、というのがあると思います。そして、そういう本って、お風呂のお湯の熱さの好みが人によって様々、というように、人によって微妙に違うと思います。
私にとっては、それがこの「冬のオペラ」だったわけです。
そこらそこんじょの事件では動かない探偵。いや、名探偵。そして、ホームズにはワトスンのように、記録係の少女。事件も最後の事件以外は、殺人ではなく。でも、雰囲気がふわふわしすぎないのは、名探偵が手がける事件だからこその、人間関係の嫌な部分がぴりっとしたスパイスになっているわけです。
でも何が魅力って、北村薫の筆力の一言に尽きると思います。
たとえば、主人公であるワトスン役の姫宮あゆみが京都で感じたこと。
光がさすと、わたしの見ていた白砂の頂が、ほんのわずか、ほろりと崩れた。
論理的に考えるなら、暖かくなって砂の水分が蒸発したせいだろう。――乾いたから崩れた。しかし、わたしの目には爪の先ほどの、砂の波頭が、光の力に押されて散ったように見えた。
私の他に、誰も見た者はいない小さな小さな事件。
宇宙から見たら、いや、そんな大きなことをいわずとも、せいぜいわたしの町内から見たところで、わたしの存在が消えるのも、この砂の先が崩れるのも、同じくらいの出来事だろう。(p173-4)
前半の、“光の力に押されて”っていうのがすごく好きです。その感覚がすごくいい!
そして後半の部分は、確かに京都に行って、お寺のお庭に行くと、そういうふうに感じる時が必ずある気がする。
よし。このままだと、円紫さまシリーズ、読めそうだぜ。
(北村薫 冬のオペラ 角川文庫 平成14年)
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