次は「麦の海に沈む果実」だ!:恩田陸「黒と茶の幻想」

順調に恩田陸作品を読み進めています。今回は「黒と茶の幻想」。

どうやらこれは「三月は深き紅の淵を」」の中に出てくる同名の本の、第一部に作品っぽいです。タイトルもまったく一緒だし。男女混合4人のグループがY島(多分屋久島)に旅をするという話。そして「三月は~」の説明であった通り、4人は様々な謎を提示しながら、それについて議論しながら旅を続けるのです。その謎は本当に小さなものから殺人事件までありました。

登場人物は、利枝子、彰彦、蒔生、節子で、彰彦以外は同じ地元出身。蒔生と節子は幼稚園から一緒で、蒔生と利枝子は高校から一緒(だから節子と利枝子も高校から一緒)で、この二人は高校から付き合っていました。彰彦は蒔生と大学時代の友達で、彼を通して他の二人と仲良くなったのでした。発端は、共通の友達が会社を辞めて実家で事業を手伝う、というのでお別れの飲み会での席で、蒔生が、どこかに行きたい、と言ったことより。それから彰彦が屋久島旅行を思い立つのです。

 四部に分かれていて、一部つつ各々の視線から語られます(順番は上記の通り)。それだからこそ明らかになってくる4人の過去。登場人物が語る謎のほかに、読者が感じるだろう謎(もしかしたら登場人物もかもだけど)も解明されていきます。

その謎というのが、どうして蒔生が利枝子と別れたのか、ということです。二人は大学時代に蒔生の一方的な別れ話によって別れています。その言い訳というのが、その当時、利枝子の大親友であって女優志望の子のことが好きになった、というものでした。そしてその後にあった、その子の一人芝居に舞台の後、その子は忽然と姿を消してしまいました。

 それが明かされる前に、その大親友は利枝子のことが好きだったのではないか、とか、彰彦は利枝子のことが好きだったのではないか(実際は結構ひねくれて好きだったみたいだったけれども)、とか小さな謎の解明も、結構分かってしまったりと、ツメが甘いというのか、明かされても“うおお~~!”感が少なかったので、そこはちょっと寂しかった気がします。

しかも、その蒔生と利枝子間の謎(というかもやもや)も、蒔生の部分で解明されてしまうので、節子の章では、謎も少ないしあっさりしていました。

その上、ドロドロした中身の蒔生の後のせいか、いくら実は節子の旦那は癌で余命少ない、ということを抱えていたとしても、あっさりした感じがしました。まあ、あんな蒔生の後に節子を持ってこないことには、話の後味が悪くて嫌だったかもしれません。

蒔生といえば、皆に好かれるキャラに描かれていますが、どうも好きにはなれませんでした。読者はドロドロしている部分を知っているかもしれませんが…。なにせ、彰彦は蒔生のことが大好き、利枝子もまだ未練がある、節子も最後には蒔生のことが好きだったのだ、と分かるくらいです。こっちとしては蒔生よりも彰彦の方が魅力的で好きでした。

ま、美青年(美壮年?)でひねくれてるってのは、やっぱりツボだったのですが、それプラス、彰彦の言う事も面白くてよかったです。例えば;

「俺、神っていうのは習慣だなって思うんだ」
…(中略)…
「…(中略)…教えられて、毎日接することによって初めて身につく。突然できるようになったり、最初からできたりはしない。だから、欧米人だって子供の時からしつこく刷り込みを続けるわけだ。習慣の中にしか神がいないことを知ってるのさ。逆に、習慣にでもしなきゃ、神の存在なんか信じられないんだろう。人間は飽きっぽく忘れやすいからな…(中間)…だから、ここに毎日通ってた島民は山の神を信じたけれど、よそからやってきて初めてここに入った奴は、そういうものの存在を信じない。そいつには、この場所は習慣じゃないからだ」

p407

しかし、もし「三月は~」がなかったら、これを読むかというと謎です。大して何も起こらなくて、謎は提示されていてもそんな大したものじゃないし、それでいてあの厚さ。面白かったけれども、あの厚さ。時間がなくて、本の中の本を読んでいるという面白さがなかったら、読まなかった気がしますが、どうでしょう…。読むのかな。
(恩田陸 「黒と茶の幻想」 講談社 2001年)

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