大雪の日に、真夏の小説を読むのはいかがのものか:三浦しをん「白蛇島」

初めて三浦しをんさんの小説を読みました。

実は、私の読書傾向としては、エッセイから入ってしまった小説家の小説は読まない傾向にあります。例えば、群ようこさんはエッセイから入ってしまったので、小説は事故的にしか読んだことない(エッセイだと思ったら小説だったという…)。そんなわけで、三浦しをんさんの場合も、エッセイで終わるのだろうな、と思っていたけれども、友達が小説も読み潰している、と言うもんだから、興味がむくむくわいたわけです。

結果。

やっぱり、エッセイから入ってる人の小説ってどうも……。多分、小説家に対して情報があるものだから、なんかのめりこめない気がします。例えていうなれば、あっち側に行きたいのに、片足をつかまれて、体の大部分はあっち側に行っているはずなのに、一部はこっち側にいる感じ。

特に三浦しをんさんには、やたらめったら共感をしていたものだから、気分的には「しをんさんったら、こんなの書いてるのね~」感覚。集中できるわけない……。

ああ、切り替えの悪い自分に困るわ~

話は、拝島という島に、高校生の悟史が帰ってくるところから始まります。悟史は本当の高校に通っていて、町で13年ぶりの大祭があるのです。その悟史を迎えにきたのが幼馴染の光市。この二人は持念兄弟。

持念兄弟というのは、この島特有のもので、この島の長男同士、歳の近い二人が結ぶものです。冠婚葬祭お互い面倒見るし、困ったときは助け合う、というものらしいです。

そもそも長男同士というのが、この島には長男しか住んではいけないことになっていて、次男以下は独立したら外に出なくてはいけないのです。

悟史は当然ながら長男ですが、どうやらこの島を出たいらしい…。

と、島に住む少年たちの話かと思いきや、そこに不思議が入ってくるのです。祭りが近くなるにつれて、「あれ」が出てくるという噂が流れてきます。
「あれ」というのは、伝説で海からやってきて、村の人とかを襲う、というものらしいです。この島にはもう一つ伝説があって、白蛇様といって、人間化してこの島の者と交わって、助けてくれたという。そしてその子孫が、神社の神主さんである、ということになっているらしいです。

その伝説にのって話が進んでいくのですが、その悟史というのが「不思議」が見える体質らしいのです。そして、神主さんのところの次男坊が、力を持った人だったのです。そのおかげで、兄に妬まれているのですが、本人は島を出たくてしょうがない。

その次男坊といつもいるのが犬丸という外の人で、その人はどうやらシゲ地に封印されていたものだったのです。

結局、この島には、白蛇と祀られているものと、シゲ地に封印されているものがいたことになるのですが、祭り前のごたごたのせいで、悪いものがどんどん出てきてしまいます。そして、当日には集落を支えていた位相がずれてしまったのです。

とまあ、なんというか。集中しきれなかったせいもあるけれども、なんとなく中途半端なお話だな、という印象しか残らなかったのでした。もしかしたら、この前に恩田陸さんの、濃いミステリアスな話を読んでしまったから、ちょっとやそっとの「不思議」じゃ、なんとも思わないくらい感覚が麻痺してしまっていたからかもしれませんが。

それでも、エッセイが面白い人だからか、日常のちょっとした事が、「あーそうそう!そうなのよね!」と思えるように描かれているのがよかったです。例えば;

「注射の痛みと似てると思うんだ。注射も、針が肌に触れる瞬間になって、『ああそうだ。こういう痛みだった』ってやっと思い出すんだよ」
…(中略)…
「俺の中で注射は、『たいしたことのない痛み』ということになってるんだ。ところが、針が刺さったとたんに俺はいつも飛び上がりそうになるのさ。あれは、痛みの量としてはたいしたことないかもしれないけど、質としては最低なんだ」

あと、風船ガムをふくらませたものを川に流すのが印象的でした。笹船ならぬ、風船船。確かに色んな色のがあったらきれいそう…。環境には悪いけどね。

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