久しぶりの恩田陸です。
「木洩れ日に泳ぐ魚」は、出だしがかなり面白くて、非常にワクワクして期待値がマックスの中始まったせいか、なんとなく尻すぼまりな印象を持ってしまいました。
男と女が交互に視点を変える形で、話が進んでいきます。
二人が同居していた所から引越し、それぞれの生活を始める、その前日の夜が舞台となっています。
何がワクワクしたって、二人がお互いにある男を殺したのではないか?と疑っている所から話が始まるのです。読者は、最初の方は、二人の名前を知らなければ、二人がどういう関係なのかも分かりません。そして、事故死として片付けられていて、問題になっている男の死、というのがどういう状況で起こったのか、とか、その男は誰か分からないまま、しばらく話が進むのです。
当たり前の事ながら、話が進むほどに話が見えてくるのですが…。その明るみになってくる事実というのが、なんとなくありきたりなのです。残念なことに。(以下ネタバレあり)
まずこの二人ですが、カップルかと思いきや、双子の兄弟だったのです。そして、生き別れの兄弟で、偶然に大学で知り合ったのです。
対する死んでしまった男というのは、二人の父親だったのです(二人が生まれる前に離婚したので、父親は子供の存在を知らない)。二人は、父親が山でガイドの仕事をしているのを風の便りで知っていて、二人でその山に登ることにするのです。その時に、父親を指定するわけではないけれども、偶然にも彼が当たるのです。
ありきたりに感じたところは、まず生き別れの兄妹話にありがちなことに、二人は恋に落ちるのです。それでもって、話が進むうちになんとなく、もしかしてこの女の方は、本当の妹でなく、つまり“すりかわり”があったのではないかな、と思っていたら、ドンピシャでした。
しかも、それが分かってからの女の豹変ぶりがなんか腹立たしかったし。
あと、結局父親であるガイドの死の真相が、いまいちはっきりしないので(二人の中で結論みたいのは出るけれども、それも推測にすぎないので)、そこもモヤモヤ感が残る要因となりました。
とまあ、文句ばかり書いてしまいましたが、今、これを書くにあたり、パラパラ読み返したら、そんな悪くない気がしてきました。どうやら期待値が高すぎたみたいです。
ある夏の一夜に、お互いが犯人なのではないか、という強固な仮説が壊れていくのを皮切りに、すべてが壊れていく様が描かれているのが面白いかもしれません。
それは時間軸に関係なく、回想も含めると、本当に様々な想いが壊れていっているのです。例えば、彼らは強固に自分達は兄弟として想いあっているのだ、と思っているのですが、それが男女の恋に変わります。そこから兄弟である、という事実が壊れ、それから恋が壊れるのです。
それがとりとめないような雰囲気で描かれていて、そんな雰囲気が夏の夜の気だるい感じにマッチしているように思えてきました。
そんな中で印象的なのは;
食料品というのはこんなに重いものなのか。
p22-23
そう思ったのは、高校を卒業してアパート暮らしを始めた時だった。…(中略)…
ジャガイモに玉ねぎ、キャベツにリンゴ。サラダオイルにツナの缶詰。
食料品とは、イコール生き物なのだ。生き物はこんなに思いのだ。
…(中略)…
彼<サークルの友人>が買い物に行くと、いつもカップラーメンやスナック菓子ばかり選ぶので、ビニール袋はひどくかさばっていたが、受け取るとその軽さに戸惑った。
こっちは生きてない食べ物なんだな。
カップラーメンの新商品を嬉々として説明する友人を見ながら、そんなことをぼんやり考えたことを覚えている。
何気ないところでハッとさせられることが多い気がします。
(恩田陸 「木洩れ日に泳ぐ魚」 中央公論新社 2007年)
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