火星なんかよりも、地球の歴史の方が面白い:ガブリエル・ウォーカー「スノーボール・アース」

この「スノーボール・アース」は、三浦しをんセレクション(三浦しをんさんのエッセイに紹介された本で面白そうなのをピックアップしたリスト)より。

科学の知識がまったくなくても面白い、ということでしたが、まさにその通り!でした。まず、出てくる科学者がものすごく個性的(まあ研究者なんて変人じゃないと務まらないんだろうけど)で、生き様や、ぶつかり合いなどの人間ドラマが面白い。

それから、単純に、地球は凍っていた、という学説が出され、それが反証されたり、立証しようとしたり、というのも面白い。そういう学説とかも、とても分かりやすく紹介されているので、本当に面白いのです。

色々抜粋してみると;

 四十億年とは気が遠くなるほどの長さであり、想像するのも困難である。…(中略)…地球が誕生してからこれまでの期間を一年とすると、春、夏、秋、ハロウィーンをはるかに過ぎ、冬の初めまで、アメーバに支配されていたことになる。それをさらに天地創造の六日間にまで縮めると、土曜の朝六時までにあたる。マラソンコースにたとえるなら、三十六キロ地点までアメーバー状生物の支配が続く。
 しかし私がいちばん好きなイメージは、ジョン・マックフィーのアイディアを借りたものだ。腕を伸ばして球を包むように輪をつくり、それを地球の歴史とする。アメーバの時代は左ひじの前で発生し、左腕全体から体を横切って右肩、前腕、ひじ、そして右手首のあたりまで続いた。地球の歴史のほぼすべてに達するこの長さに匹敵するほど、長く生きたものは他にない。恐竜の時代は、指一本分の長さでしかない。またヒトの存在期間にいたっては、右手の中指の爪をやすりでゆっくりこすりとったくらいだ。

p29-30

こんなに長い間、単細胞生物は生き長らえ、それに不自由のなかったのに、なぜある日突然進化し、高等な生命体がうまれたのか。それが最大なる問題なのです。

それを解く鍵が、「スノーボール・アース」と呼ばれる地球凍結説にあるのではないか?とポール・ホフマンが眼をつけたところから論議が始まるのです。

この本では、この地球凍結説の論議がほとんど取り上げられていて(それくらい地球凍結説は問題だったらしい)、進化のところはほんの一部です。でも、反証され、それを検証の末立証したり、と様々な科学者が取り組んで、一つ一つ解いていかれるのが(もとに戻る事もあるけど)本当にワクワクするのです。

そしてまた、このような事態(大陸が動いたり、凍ったり)が二億五千万年の間にあるかもしれないらしいのです。

 われわれの子孫はどうするだろうか。…(中略)… 地球は強力で頑固な暴君だ。わたしたちが使える資源を制限し、大地に関する意志はとても測りがたい。
…(中略)…
 しかし次の全地球凍結は地上の生物すべてにとって、世界の終焉となるわけではないだろう。それは以前のときと同じだ。破壊的なほどの猛威をふるった前回の全凍結のあとには、空前絶後の新たなる始まりがあった。全地球凍結が生物をどのような方向で進ませるか、いった誰が知ろう。
 私たちの地球は、何といっても発明の王者である。地球史を通じて、地球は常に新しい形へと変容し、目を見はるような新しいアイデンティティをたずさえてきた。地球の内部からのぼってくる熱い岩のプレームによって、大陸の表面は絶え間なく形を変えている。山脈が隆起する。別なところでは落ち込む。海がこちらで開き、あちらで閉じる。人間にとっては天災である地震も噴火も津波もすべて、地球が変容しようとする、圧倒的な一部でしかない。頼りない大気でさえ、地球の変化傾向に適応し、変化を拡大する役目を果たしている。変化は地球にとって危険なことではない。それこそが本質なのだ。この地球の一段面を共有する私たち人間や他の動物は、弱き者なのである。

p282-3

これを読むと、「地球にやさしい」という言葉、いかに人間の驕った考えの表れかが分かる気がしました。

(ガブルエル・ウォーカー 「スノーボール・アース 生命大進化をもたらした全地球凍結」 川上紳一・監修 渡会圭子・訳)

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