本居宣長や新井白石の名前が普通に出ているのに驚いた:柳田国男「海上の道」

松岡正剛の千夜千書のHPを見ている時、“どれも難しそうなもんばっか…”と思っていたら、ふと柳田国男の「海上の道」が目にとまった。「遠野物語」を読んだことあるし、国語の教科書にも載ってたので興味を持ったのだった。
そんな訳で読んでみたが…

「遠野物語」的なものを想像していた私にとっては、ある意味大誤算だった。
む・難しすぎる……

“日本人はどこから来たのか”というテーマで、柳田国男が今迄調べてきたものをつらつらと、そして自分の見解をつらつら述べているものだった。

民俗学の論文というほどのものではなくて、それよりもちょっとやわらかくなったものではあったけれども、確実に一般向けではないと思う。例えば中沢新一の本なんかは、民俗学をそこまで知らない人もターゲットに入っているのか、大変読みやすい。
時代の面もあるかもしれないけれども、とりあえず「海上の道」は難しかった…

というわけでほとんど理解できていません…。
とりあえず目次だけを抜粋してみると;

・海上の道
海岸に打ち寄せられるものについての考察。
実際、柳田国男は椰子の実が海岸に流れ着いたのを見たことがあり、島崎藤村にその話をしたのがきっかけで、かの有名な「椰子の実」の歌ができたようだ。
この漂着物を起点に、日本人がこの島に渡ってきたルーツを探っていく

・海神宮考
ずばり竜宮の話。
竜宮が出てくる話は、龍神の存在よりも“乙姫様”という存在が強く出てくる、というのには“そういえば!”と思った。が、その考察内容は難しく、あまり理解できていない…

・みろくの船
船に乗って弥勒浄土に行く、という風習について(確か)。
ここら辺から理解するのを半ば放棄しているのだが、その中で“踊る”という話が面白かったので抜粋;

 近頃の踊る宗教を見ても察し得られるように、見知らぬ人たちが旅からやって来て、新らしい教えを説こうというのには、踊ることは近路であり、また有効なる方法でもあった。声高な言語は行く人を立ち止らせるが、趣意を汲み取らぬうちに、さっさと行き過ぎる者を制止することができない。これに反して踊りには切れがあり、また際限もなくくり返されて、だんだんと印象を成長させる。(p119)

・根の国の話
根の国=死後の世界
死後の世界が地下になるまでの考察(多分)

・鼠の浄土
小さな離れ小島(例えば奄美諸島)に伝わる鼠の話。鼠はどこから渡ってくるのか、など。
あと興味のあるところで言えば、鼠が出てくるおとぎ話。なぜおにぎり、もしくは団子が穴に落ちたのか(これと似たような話が「海神宮考」で出てくるが、海にお正月の門松を投げ捨てると、お礼に海の者が現れるという)。そこから根の国の話になる。

・宝貝のこと
宝貝というと「かぐや姫」にも出てくるほど、都の人にありがたがれたけれども、実際によく採れるところでは飾りものにもしなかった。なぜ?という話。言葉が違うけれども、“ツシヤの玉”こそ宝貝ではなかったのか?という話。

・人とズズダマ
ズズダマとは今ではジュズダマと言われている草の実のこと。日本では千年以上前から存在しているらしいのだが、その草の実の遍歴。

・稲の産屋
新嘗から話が始まり、稲穂の話などなど。

・知りたいと思う事二三
そのまま。ちょと覚え書き風。というか、これから読んだ方が読みやすかったかも。というのはこの“知りたいと思う事”というのが、その前の章まで展開してきたものだった。


柳田国男 「海上の道」 2005年 岩波書店

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