挿絵のバルサの後れ毛がどうも気に食わない私(細かいが):上橋菜穂子「精霊の守り人」

ずっと気になっていた本だったのですが、なかなか機会がなく(というか、図書館で児童図書コーナーに行く勇気がなく)、ずるずる読まないままこのまま来ていた本、それが「精霊の守り人」by上橋菜穂子

読んでいる最中、この本が読めてよかった!と思える本はなかなかないものですが、この本はその稀なる本でした。本当に面白かった!!

子供の頃に読んでいたらもっとはまって、一気に読み終えていたところでしょう。

主人公は女用心棒のバルサ。あらすじを読んだ時に、女用心棒と読んで「どうせ若い美人用心棒で、ファンタジーによく出てくる類のんじゃないの?」と思っていたのですが、どころがどっこい30超えたベテラン女用心棒でした。そこも何気にツボでした。

舞台は新ヨゴ皇国(おうこく)。バルサが第二皇子チャグムを助けたところから話が始まります。
この皇子、この頃奇行が目立ち、それはどうやら何かに取りつかれているようなのです。そのため、父である帝に命を狙われることとなり、母である妃はチャグムをバルサに託すのでした。

そのチャグムに宿っているものというのは、この世のものではなく、土着の民ヤクーが”ナユグ”と呼ぶ世界に住む”ニュンガ・ロ・イム(水の守り手)”の卵だったのです。
ところがこの卵のやっかいなところは、それを好物にするラルンガというものがいて、そいつに食べられてしまうと、その卵を宿らせているニュンガ・ロ・チャガ(精霊の守り人)も死んでしまえば、その後旱魃が起きてしまうのです。

そんなわけで、チャングムは都からの追っ手とラルンガから逃れるため、バルサとその幼馴染のタンダ、そしてタンダの師匠で呪術師トロガイと共に旅をすることになるのです。

と書くと、陳腐な感じですが、本当に面白い。

作者は文化人類学者のためか、神話がどのように作られていくのか、ということまで言及されているのもこの話をユニークにしていると思います。つまりは、歴史(神話)は勝者が作られていく、ということが書かれていて、それを登場人物たちが解き明かしていくさまは、なかなか他にはないと思いました。
また、各民族によって持つ神話は異なり、そのため考え方が異なれば、つまり神話が違うということは、様々な世界観が存在する、ということも描かれていたと思います。

あとちょっと面白いなと思ったのが、チャグムだとかバルサだとかヨゴ皇国だとか、カタカナ文字の名前が連なっているのに、地名は鳥影橋だとか青弓川だとか日本名っぽいのも面白かった。帝だし。
カタカナ文字と日本名が持つ雰囲気を混在することで、多国籍っぽい雰囲気を出したかったのでしょうか?

最後に、チャグムが時期帝にならなくてはいけないと決まった時の場面より;

「・・・・・・わたしとにげるかい?チャグム。」
 バルサのかすれ声に、兵士たちが、はっと身がまえた。バルサはわらっていた。
「え?ひとあばれしてやろうか?」
 チャグムは、バルサをみあげて、しゃくりあげた。バルサがなにをいいたいのか、チャグムにはわかった。…(中略)…
 チャグムは目をとじ、しゃくりあげをとめようと、大きく息をすった。おもいがけぬ鮮烈さで、木々のにおいが鼻にすいこまれてきた。しかし、ずっと感じていたシグ・サルアのにおいは、自分のからだからきれいにきえてしまっていた。もう、みようとしてもナユグはみえない。ニュンガ・ロ・イム<水の守り手>の卵はいってしまったのだ。―自分のなかで、ひとつのときがおわったことを、チャグムは感じた。
 自分でのぞんだわけでもなく、ニュンガ・ロ・チャガ<精霊の守り人>にされ、いままた、自分でのぞんだわけでもなく、皇太子にされていく。―自分をいやおうなしにうごかしてしまう、この大きななにかに、チャグムははげしい怒りを感じた。
 だが、そのいっぽうで、みょうにさえざえと、さめた気持ちも感じていた。それは、あのナユグの冷たく、広大な風景のなかで感じていた気持ちににていた。チャグムは生涯、この気持ちを心の底にもちつづけることとなる。

p314-315

早く図書館に行って、続きを借りたいものです。

(上橋菜穂子 「精霊の守り人」 1996年 偕成社)

コメント

タイトルとURLをコピーしました