一番の憎む相手は、バルサの父ではないか…?とちょっと思う:上橋菜穂子「闇の守り人」

前作の面白さに、すっかり図書館の児童コーナーに入るのにためらわなくなり、さっそく借りてきた「闇の守り人」。そしてこれも面白くて、休みに入ったことをいいことに一気読みしてしまいました。
あ、図書館はもうしばらく開いてないから、続きは読めないというのに・・・

今回の話は、バルサが自分の生まれた国に戻り、自分の心の傷を治すために、今一度その傷に向き合う、という話でした。

前作にもバルサの生い立ちは出てきたのですが、バルサは新ヨゴ皇国を山越えしたところ、カンバル王国の生まれでした。母は小さい時になくなり、父はカンバル王ナグルの主治医でした。しかし、ナグルは病弱で、その次の座を狙う弟、ログサムは腹黒いやつで、バルサの父を脅してナグルを毒殺させます。

自分の身と、そして何より娘の身を案じたバルサの父は、親友で王の槍の一人であるジグロにバルサを託すのでした。
そうして、バルサはジグロと共に、追っ手をかわしながらの逃亡生活を始めるのでした。
そんなバルサの過去が、バルサを陰謀に巻き込むこととなります。

その陰謀というのは、<ルイシャ贈りの儀式>をめぐってのもので、ジグロの弟ユグロによって企てられたものでした。
この<ルイシャ贈りの儀式>というのは、山の地下に住む、山の王からルイシャ<青光石>を賜る儀式で、山ばかりで貧しいカンバルにとって何年かに1度の大事な儀式でした。
このカンバルを囲む山の中というのは、ヒョウル<闇の守り人>というものがひしめく、恐ろしい所であったので、<ルイシャ贈りの儀式>で王と9名の王の槍、そしてその従者が入る以外、禁じられている場所でもありました。

一番印象的だったのは、やはり山場。バルサがヒョウルと<ルイシャ贈りの儀式>にて戦うシーンです。
ヒョウルは実は元王の槍の人たちで、つまりはジグロ、そしてバルサとジグロを追ってジグロに殺された他8名の王の槍(つまりジグロの友達)だったのです。

そのジグロのヒョウルと戦うシーンは何度読んでも身をつまされます;

 (わたしは、うまれてこなければよかったというのか?それとも、自分で死ねばよかったとでも?)
 それは、むきだしの怒りだった。心の底にかくしてきた―自分にさえ、かくしてきた怒りが、おさえようもなくふきだして、バルサは、くるったようないきおいで槍をふるった。…(中略)…
 (あんた、知らないとでも思っていたのか?友を殺すたびに、わたしは、あんたがわたしをうらんでいるのを感じていた。―ずっと、感じていたんだ。)
 バルサのさけびは、じっと槍舞いをみつめている。八人のヒョウル<闇の守り人>たちへもむけられた。…(中略)…
 (……あんたが死んだあとも、わたしは、ずっと、その重荷をおって、生きてきたんだ!)…(中略)…
 バルサの槍にはねあげられて、ジグロの胸に、ぽっかりと大きなすきができた。
 あの胸に槍をつきこめば、ジグロが消える。
 バルサは、闇のなかで、自分をみつめているジグロの目を、みたような気がした。
 おれを殺せ―という声が、きこえたような気がした。
 その怒りのすべてをこめて、おれを殺せ。そして、怒りのむこう側へつきぬけろ……と。
 そのとたん、怒りにさらされてかわききった砂地に、ぽつり、ぽつりと雨がふりはじめたように、なまあたたかい哀しみが、胸にあふれてきた。
 みぞれがふる寒い夜に、商家の軒下の泥のなかで、こごえながらねむったおさない日、自分をしっかりとつつみこむようにだきしめてくれていた、ジグロのにおいと、ぬくもりとが、肌によみがえってきた。
 かなしみをかかえながら―苦しみに、うめきながら―ジグロは、それでも、ずっとバルサをかかえ、だきしめて、生きてきたのだ……。

p332-334

この話の最大の魅力は、人々の哀しみみたいのが、美化されたりおセンチな感じで書かれていなくて、それでいて最後には、それを乗り越えていくさまがきっちり描かれていることだと思います。
話の筋とは関係ありませんが、今作は、ファンタジー度が上がってて(私見ですが)、カンバル国の食べ物やら服がばんばん出てくるは、山の底の民やティティ・ラン<オコジョを駆る狩人>やら出てきました。

あと新ヨゴ皇国と違いをつけるためか、カンバル”王”国であり、帝ではなく王でした。
というのに目がいくようになったのは、大人になったということでしょうかね(意味不明ですが)。

何はともあれ、ああ、早く3作目が読みたい。

(上橋菜穂子 「闇の守り人」 1999年 偕成社)

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