原題の『水の通う回路』の方がいいタイトルだと思う:松岡圭祐「バグ」 

先輩から借りた松岡圭祐作品第三弾、「バグ」。今回借りた三冊の中で一番面白かった気がします。
話の発端は、小学生が突然刃物で自分のお腹を突き刺し、自殺をはかるというショッキングなところから始まります。

そして、それはその子だけに留まらず、全国的にあちこちで子供達が自殺をはかるという事象が起きるのです。そして、その子たちが決まって言うのが、黒いコートの男が追いかけてくる、というものでした。もちろんそんな男はいなくて(全国で同時に現れるわけないし)、運ばれた病院で検査しても薬物を投与した形跡もない。

そうしているうちに見つけ出された共通点というのが、フォレスト・コンピュータ・エンターテイメント社のアクセラ4というゲームで遊んだということでした。
そこから、フォレスト・コンピュータ・エンターテイメント社の創業者で社長の桐生に焦点があたって話が進んでいきます。

社員で凄腕のプログラマー津久井が、ライバル社と内通している疑いがあって・・・
と次々に襲ってくる、会社の危機。それに立ち向かうのは、社長としてはちょっと甘いところがある桐生。その桐生の人柄が実に“普通の人”(子供のけんかの仲裁が下手だったりとか)で、親近感がわくためか、ひたすら応援していました。特に、津久井のことを信じたいけれども、信じきれず、それでもなんとか信じよう、という心の揺れの部分は、妙に共感してしまい、そのためか津久井のことを憎みきれずもやはり「津久井、お願いだからお前の心のうちを社長に言ってやれ!」となじりたくなったのでした。

最後に明かされる、黒いコートの男と怯える子供達の件についての真相は、拍子抜けで納得のいかないところもあったし、しかもやっぱり「主人公の近しい人が犯人」という法則でした。でも今回の犯人は、あまり主要人物でなかったので大して打撃もなければ、そもそも、真相に行き着くまでのプロセスが面白かったので、自分の中で最後がいくらあれでも満足感がありました。

最後に「水のはいった袋」と「水の通う回路」という面白い話があったので;

 水のはいった袋は人体、水の通う回路は人間の脳。…(中略)…少年(注:最初に自殺未遂した子供)は人間の本質論を求めていたのだ。
 少年が最も知りたがっていた疑問は、ひとつの質問に集約されている。なぜ袋じゃなきゃだめなの。少年はそういった。すなわち、人間はなぜこんな形をしているのか。なぜ、水のはいった袋でなければならないのか。そして、その水のはいった袋は、用意なことで壊れてしまう。壊れると、水の通う回路が機能しなくなる。すなわち死んでしまう。しかも、水のはいった袋は罪をかさねていくようにできている。すなわち、ほかの生命を殺して吸収する、食べるという行為をくりかえさねばならない。だが、罪をかさねてまで、なんのために生きているのかさだかではない。そこで少年は生きている意味はないと考えた。だがそれを受けいれるためには自分の死を容認しなければならない。それは恐怖をともなう。だがしょせん水の通う回路がつくりだした幻想だと考えられる。だから恐怖という感情をまやかしだと決めつけた。意識から締め出そうとした。しかし、人間が恐怖を感じなくなる事はありえない。

p534

(松岡圭祐 「バグ」 2001年 徳間書店)

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