この挿絵の怖さはどう考えても“少年少女のため”ではない!!!:島田荘司「透明人間の納屋」

なんだかこの頃児童書づいている気がするが、いやはやなんだか楽して読めるので、図書館で児童書コーナーに行く抵抗感がなくなった今、真っ先にそのコーナーに直行している自分がいる。そんでもって大体は「精霊の守り人」シリーズ、もしくは「盗神伝」シリーズ、もしくは「ミステリーランド」シリーズを借りる。

今回は「ミステリーランド」シリーズより島田荘司の「透明人間の納屋」。島田荘司なんて本格ミステリー界の大御所だ(と思っている)し、その昔好きで読み漁ったこともあるので、大いに期待して読み始めた。

その結果・・・なんか泣けてしまったよ、この話。

事件自体は、密室状態から人が消え、その数日後に海で腐乱死体となって見つかる、というよくある事件で、しかもその真相も大して目新しくない。
でもこの話の神髄は事件ではなくて、大げさに言うと、主人公の男の子と隣で印刷工場を営む真鍋さんの愛だと思った!(この場合の愛は恋愛の愛ではないのであしからず)

ところでこのミステリーランドは“かつて子どもだったあなたと少年少女のための”と銘打っているのだが、今回の場合、明らかに“かつて子供だったあなた”仕様になっていた。
というのは、主人公がもう大人になっていて「かつて子供だった」頃のことを思い出して話が進んでいく形式を取っていて、それがものすごい効果的だからだ。

舞台は日本海をのぞむF市。主人公の本名は出てこず、皆に“ヨウちゃん”と呼ばれている。
父親がいなくて、通っている小学校にも気の合う友達がいない。

あの頃のぼくは、手探りのようにして毎日を生きていた。大げさに言えば、生き方を探していたのだ。…(中略)…そしてぼくは、ようやく真鍋さんを見つけていた。これが生きる理由だと納得していたのだ。

P22

そんな真鍋さんと穏やかな暮らしをしていくのかと思いきや

何故ぼくにあんなひどいことができたのか。徹底して優しく、ぼくのためだけに生きているとさえ言えそうなくらいに献身的だった真鍋さんに、ぼくは本当にひどいことをした。二度と取り返せない罪を犯した。若者に持つ毒でもない、人間の業でもない、子供にも危険な毒がある。子供だけが持つ毒。あの頃を思い出してぼくはそう思わずにはいられない。

p39-40


と最初の部分で書かれているものだから、真鍋さんとの幸せそうなやりとりを読んでいても、先を予感してしまうせいか、哀しさを含んでいる気がしてならなかった。そして、その「子供だけが持つ毒」に直面した時、“ああ、これか・・・”と思うのは、同じような経験をどこかでしていたからか。でもこの主人公に関しては、それが真鍋さんとの別れを意味していて、その後の生活に大きく影響を与えることとなる。

その別れのシーンも悲しかったが、その後、真鍋さんからの手紙なんて、もう・・・ 基本的に事の真相が書かれているのだが、最後の部分

あのF市での暮らしは素晴らしかった。何もない街だったけれど、ぼくは最愛の人たちに巡り合えて、生きる意味と喜びを知った。それがどんなに大きなものかも。…(中略)…
 その前のぼくには何もなく、その後のぼくにも何もない。今この地獄の釜の底で目を閉じると、ぼくの精神はあの日本海べりの小さな田舎街に、吸い寄せられるように戻っていく。あの聡明でシャイで、しかし向上心強く、時に上目遣いに、はにかんだように笑う少年と暮らした何年かは、ぼくには人生最上の日々でした。あれこそは、追い求めていた地上の楽園だったと今は解ります。

 p306

ああ またもやこれを読んでいるうちにも涙が出そう・・・ ううう
なんか自分の琴線にものすごく触れる作品だったようだ。
さ、さすがです巨匠・・・

(島田荘司 「透明人間の納屋」 2003年 講談社)

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