ロタ王国建国話はなんとなく指輪物語に似てる気がする:上橋菜穂子「神の守り人 帰還編」

先を急くように読み終わった「神の守り人 帰還編」。

父親スファルの意向に背いて、というかカシャル<猟犬>の役目に反目して、シハナが企てたのは、タル人のラマウ<仕える者>(異能者でタル・クマーダ<陰の司祭>にいずれなる者たち)と結託してサーダ・タルハマヤ<神とひとつになりし者>を蘇らせるというものだった。

ロタ人に虐げられてきたタル人が、この話に乗るのは分かるとして、なぜカシャルであるシハナがそれを企てたのかというとロタ王の弟イーハンのため。
イーハンは貧しい北部に同情的で、かつタル人の娘と恋に落ちたことがあったこともあって、タル人に対する差別をなんとかなくそうとしている人物だった。そんなわけで北部の人やタル人には人望があれども、豊かな南部の人たちには大変評判が悪い。
現ロタ王のヨーサムは良き支配者ではあるが、体が弱く後継者もいない。もしここで亡くなったら、大きな氾濫となる。

そんなわけで、世界を自分の力で変えてみたいという野望を抱くシハナはこれを企てたのだった。
一方、ラマウ達はロタ国創建に関する伝説に疑問を持っていた。
サーダ・タルハマヤは恐怖をもって治めていた、というが本当は違うのではないか?それはロタ人が都合のいいように変えた伝説なのではないか?

バルサと別れて、シハナとラマウ達の手元に渡ったアスラは、その考えにすっかり感化されてしまう。そもそも、アスラは自分の中にいるのを「カミサマ」と認識しており、自分達を悪者から守ってくれる、と思っていたのだ。

一方、バルサはタンダとスファルと合流して、なんとかこの企てを止めようとするのだった。

結論を言ってしまうと、もうすぐで完全なサーダ・タルハマヤになってしまいそうだったアスラは、兄やバルサの言葉を思い出し、「サーダ・タルハマヤになりたくない!」と強い意志を持ち、アスラをチャマウ<神を招く者>とならしめて首の周りの宿り木の輪を引きちぎるのだった。
前作までは、建国の伝説はこうだが実は・・・という感じだったのに、今回はそれを逆手にとる形なのが面白かった。

虐げられた民が状況打破のために大量虐殺も辞さないというのが、子供向けのファンタジーといえども妙にリアルだった。それでも最後にアスラが自分の危険を感じつつも、宿り木の輪を引きちぎるというのは、希望を与える感じでよかった。それにアスラがまだ子供、という設定もきいていた気がする。
というのは、アスラは大人の、特に母親の言うことを素直に信じる年頃で、それが故にタルハマヤを「カミサマ」と見なしている。

そうやって洗脳されるかと思えば、それを心配して、なんとかしてアスラを人殺しにならないように奮闘するバルサがいる。

「わたしには、タルの信仰はわからない。タルハマヤが、どんな神なのかも、知らない。
 だけどね、命あるものを、好き勝手に殺せる神になることが、幸せだとは、わたしには思えないよ。……そんな神が、この世を幸せにすることも、思えない。」
 涙を流しながら、アスラはバルサを見つめた。
「そんなものに、ならないでおくれ、アスラ。……狼を殺したときの、あんたの顔は、とてもおそろしかったよ。」
 氷のように冷たい手が、胸にふれたような気がして、アスラは、目をみひらいた。
「サラユのような色をした衣をまとって、お湯からあがってきたときの、あんたは、とてもうつくしかった。……みていたわたしまで、幸せな気分になるくらいに。」

p132

それでも純粋なアスラはなかなかバルサを信じられない。
そんなアスラが最後に宿り木の輪を引きちぎる引き金になったのが、兄の姿とこのバルサの言葉、というのが、やはりアスラがあの年頃だったからのような気がしてならない。

つくづくお見事!とひざをたたきたくなる。

(上橋菜穂子 「神の守り人 帰還編」 2003年 偕成社)

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