エッセイを読み終わったとろこで早速、奥田英朗氏の初めての小説を、初めて読んでみた。ふふふ
今まで読んできたエッセイは、結構皮肉的なウィットにとんでいたので、小説はどうなるのやら、と思っていたら、意外にもなかなか暖かい話だった。
最後は今一な感じだったけれども、全体的に好きだなーと思わせる小説だった。
主人公の名前はジョン。どうやらイギリス人らしく、日本人妻ケイコともうすぐ4歳になるジュニアと共に、ケイコの実家が持つ軽井沢の別荘にやってきている。
そこで道端で、自分の母親とよく似た声の女性が「ジョン!」と子供を呼んでいるのを聞いた時から、パニック・ディスオーダーに苛まされることになる。
しかも、精神性のものなのか酷い便秘に悩まされる。
とにかく最初の方は、ジョンという人がおぼろげにしか見えない。
どうやら昔は有名人だったらしい、とか、今は隠遁生活をしていて、ケイコが仕事で世界を飛び回っているのに着いて行っているらしい、とかそんなのがなんとなく分かるのみ。
そして人を殺してしまった、という罪におびえているのだが、その罪自体もなかなか明かされない。
面白いなと思うのは、その罪を何度も何度も取り上げて(何せジョンが何度も何度も悪夢にうなされてるから)、次第にその内容を明瞭にしていっている。
まあ、そんな感じで、序盤はとにかく読者はよく分らないまま、ジョンの便秘話に付き合っている感じ。
まさか、ジョンという人が過去を思い出して後悔の念でうんうんうなりながら、便秘に苦しむ話で終わりじゃないだろうな、と思っていたら、もちろんそんなことでは終わらなかった。
突然;
そうしてジョンは前妻と離婚し、ケイコと籍を入れた。
p62-3
世間はたちまち反発し、「ジョンは東洋の魔女にたぶらかされている」とマスコミは書き立てた。バンドのメンバーもケイコを嫌った。前衛芸術に傾倒していくジョンに「目を覚ませ」という者すらいた。
という文を読んで、“ジョン”はただのジョンじゃないんだ!ジョン・レノンなんだ!!と気づいたのだ。
人によってその場所はまちまちだと思うが、ある時突然、これは「ジョン・レノン」の話だったんだ、と気づく。もちろん、伝記ではないのでまるっきりそのままという訳ではない。現に妻の名前はケイコだし。
でも“ジョン・レノン”が見え隠れし始めると、ぐっとこの物語の雰囲気が変わる。
ジョンが過去に人に対してしてしまった冷酷な仕打ちに後悔し、悪夢を見、でもお盆時期もあってか霊界からその対象となっていた人々が次々現れて、ジョンは浄化していく、という過程が、何か厚みがあるように感じられるのだ。
そうやって、“架空の世界でかつて有名人だったジョン”でも成り立つ話が、現実の世界の“ジョン・レノン”とリンクすることによって、違う様相になるというのは、とても面白かった。
奥田氏が「文庫版へのあとがき」でこれを書くことになった動機を書いているが、曰く;
彼の人生は多くのライターたちによって記述されている。…(中略)…
p307
ただ、わたしはかねてよりひとつの疑問を抱いていた。不満と言ってもいい。それは七六年から七九年にかけての、彼の「隠遁生活」における言及があまりに少ないことだ。…(中略)…
だが、彼のアルバムを聴き直してみると、ファンならばあることに気づくはずだ。それは四年の空白期間を置いて発表された最後のアルバムが、主に家族愛を歌った実に穏やかな作品だということだ。
らしいが、さすが目の付けどころが違う。
そして
つまり、わたしは、フィクションで彼の伝記の空白部分を埋めてみたかったのだ。
p308
というのだから、かっこいい!!!
そしてそして、躊躇なく“ジョン・レノン”と便秘を結びつけた奥田氏に敬意の念を抱く。
(奥田英朗 「ウランバーナの森」 2000年 講談社)
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