芥川賞って昭和十年から続いていたのですね:石川達三 「蒼氓」 in 「芥川賞全集 第一巻」

ふと芥川賞作品って読んだことないなーと思いつき、そうだこの際だから第1回目の芥川賞作品から読んでみよっとと思ったのは、この頃自分の中ではやりの「時系列順に読む」というのが意外と楽しいからに違いない。

いやぁ、なんか時系列で読んでいくと、攻略感があって妙な達成感があるんですよ。こんな不純な同意で果たして読書はしていいものなのか、と自分の読書に対してのプライドに聞いてみたが、「ま、楽しければそれでいいんでない?」と返ってきたので、さっそく「芥川賞全集1」を借りてきてみた。

まずは栄えある第1回芥川賞(昭和十年)受賞作品:「蒼氓」by石川達三。

先日、暇だったのでWikipediaで太宰治について読んでいたら、彼は憧れの芥川龍之介を冠したこの賞に応募し、候補にあがったそうだが、この作品に負けたそうな。でもその落選した太宰治は知っていても、当選した石川達三は知らなかったから、時代ってのはそういうもんかね。

話はというとなかなか社会派で、ブラジルへ移民として渡るお話でした。
といっても、主人公がいてブラジルに移住し、艱難辛苦を乗り越え栄光を手にする、といった類のものではなく、ブラジル移住をめがけて様々な人が神戸へ集まり、審査に通って、ブラジルへ出向までの何日かをスケッチ風に書かれたものだった。

様々な人といっても、大概は貧しい農村からの人が多く、家財を売り払って新天地めがけてやってきた、という人が主だった。なかには、「満五十歳以下ノ夫婦及ビ其ノ家族ニシテ満十二歳以上ノ者」という渡航費補助移民の条件を満たすために、偽装結婚する者もいたりした。

ともかくあらすじというあらすじはあまりなく、そういった淡々とスケッチが続いていく。
文学を解す脳が発達していないのか、残念ながら「面白い」だとか「興味深い」だとかちっとも思わず、ただ「暗いな」という感想しか持たなかったけれど、昔の作品って現代ではなかなか書き得ないものをひょいと書いちゃうんだな、と思った

前も安倍公房を読んで思ったけれども、現代においてこんなの書いたら、人権無視だと言われてしまいそうな描写があったり、幸田文を読んで思ったように、よくも気持ち悪い情景をホラーとかそういうジャンルでないのに緻密に描写するよな、と感嘆してしまう描写があったりした。
例えば、渡航にあたって体格検査が行われたシーン;

「乳を飲むかい?」と医者は吃りながら訊いた。母親は両手にこの子を抱いたままぼんやりと窓の外の雨を眺めていて返事もしない。医者は父親をふりかえった。大きな体格をした父は右の手の甲で鼻水をこすってそれを左手で揉み消している。その三人を囲んでうようよと九人の子供だ。その中の三人の女の子は頭に虱が霜の降った程にたかっていて、中の一人は頭一杯の腫物で膿が流れて髪が固まって悪臭を放つ中を虱が歩いている。二人の医者は呆れてこの白痴のような夫婦をつくづくと眺めた。是は人間であるか獣であるか。そして毛むくじゃらな熊の様に逞しい本能の姿をまざまざと見たように慄然として顔を見合わした。

p12

もしかしたら“現代では見られない描写”というのは、現代ではこんな人たちがいなくなったからかもしれない。
「暗い」だのなんだの言っても最後まで読んだのは、その時代のリアルな描写が為されていたからに違いないとも思う。

ときれいにまとめようとしておいて蛇足になるだろうが、補足を。本作に「命短かし恋せよ乙女」という歌を歌う、というシーンが出てきたのだが、これってそれってやっぱり、「夜は短し歩けよ乙女」ってここから来てるのだろうか? とちょっと切ないシーンだったというのに、はっとしてしまった。

(石川達三 「蒼氓」 in 「芥川賞全集 第一巻」 昭和57年 文藝春秋)

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