でも穂村氏の顔は割と好きだ:穂村弘「本当はちがうんだ日記」


確か、三浦しをん女史のお勧め本だった気がする。
実は穂村弘の「いじわるな天使」と「現実入門」を立ち読みして、好かん!!どうしても好かん!!!!という印象を持ってしまったが為、これを読む時も非常に消極的だった。

しかも前の2作とも最後まで読めてないし。
まぁ 前から薄々、というか割とはっきりと分かってたけど、穂村さんって“へたれ”の代名詞なのですね。
“へたれ”ね。嫌いじゃないですよ、嫌いじゃ。むしろ、“へたれ”エッセイって、割と好きですよ。面白いから。

例えば;

 目当ての腕時計たちを巡って一喜一憂しているとき、あたまのなかで、こんなことをしている場合ではない、という声がする。おまえは今、締切を一週間以上過ぎた現行を四本抱えていて、二日寝ておらず、五日お風呂に入っていない。しかも明日もあさっても会社がある。こんなことをしている暇があったら、原稿を書け、いや、その前に少し眠らないと躰が壊れる。それにおまえ、ちょっと臭いぞ。
 だが、私は右手をマウスから離すことができない。瞬きさえ惜しんで、ディスプレイを凝視しながら、望みの腕時計を探し続ける。あたまのなかの声は、あきれたように云う。あのなあ……、せめてコートを脱いで、さっきから我慢しているトイレに行ってこいよ。だが、躰が動かない。部屋の灯りもつけず、コートも脱がず、おしっこも我慢して、電話回線の遅さにいらいらしながら、ネット・オークションに齧りついている私の目は血走り、膀胱はぱんぱんだ。

p32-33

なんて、文句なく面白い部類に入ると思う。
「穂村さんったら~~」と思いながら、ふふふ、となるだろう。

でも!

なぜか、何故か、あまりぴんとこないんだ。

書評とかでは人気があったり、ま、三浦しをんさんが本で書くくらいだから、他の人には面白いんだろうけど、私にはピンと来ず。どちらかというと、始終、いけすかない印象を持ってしまう。

なんでだろう… これが相性というものですかね。
というわけで、別に穂村氏のせいでは全くないけれども、私には合わないようです。

多分、本当にお会いしても、イライラしてしまう気がするなぁ

<穂村弘 「本当はちがうんだ日記」 2005年 集英社>

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