猫を紫に染ちゃうなんて幸田文の茶目っけにびっくり:青木玉 「幸田文の箪笥の引き出し」

猫を紫に染ちゃうなんて幸田文の茶目っけにびっくり 

着物が好きで、幸田文も割と好きとなれば、自然興味を持つ一冊「幸田文の箪笥の引き出し」。
前に幸田文が父・露伴のことを書いたのを読んだが、今回はその娘が幸田文のことを着物を通して語っているのは、それはそれで乙なものだった。

着物が好きで自分で着付けもして、どこかへ出かけることもあるので、一般の人よりは着物に触れる機会はあるとは思う。でもこの本を読んで、いいなぁと思ったのは着物が日常生活で“着るもの”だったから。

やっぱり今の時代は、着物を着るとなると一大事になってしまう。
幸田文の時代(戦後とか)でも、着物が一般的ではなくなっていっているが、幸田文はあくまでも普通に着ている。

それでいて着物一着一着に対して心配りが為されていて、光の加減を考えていたりとか、晴れた日用・雨の日用に分かれていたりとか、私はよくわからないけれど、これが“粋”というものなのかしら、というのが詰まっていて、ただただいいなぁと思ってしまった。

特に好きだったエピソードが、青木玉さんの結婚式の時に「嫁さんの親は黒の留袖にするのが決まりだけど、黒は何だか着たくない。向こうのお母さんに許して頂いて、ちょっと外して紫にしよう」(p17)と言って、紫に染めてしまう。
そして結婚式当日。

親族の席は遠い、テーブルに着くと男の礼服も女の黒留袖も、とかく沈んで喪服に似る。隅の一点に紫がある、ああ母さんはこれを考えて着物を作ったかと悟った。
 「私はここに居るよ」と。

p21

着物を通して親子の情愛が描かれているのが、それが事実を語る随筆とはいえ、うまいなぁと思ってホロリとしてしまった。
あとホロリときてしまったのが、幸田文の死後、箪笥を整理していると浴衣の反物が出てきた。
広げてみると裁ちかけである。幸田文は浴衣を作るとなると、一気にささっと半日で作ってしまうのになぜだろう?
と思ったところで

ここまでやって母さん疲れたんだ。明日の朝、手元が明るい中でと考えていたけれど、その明日もやる気が起きなかった。一ト区切りついた時につづきをやろうと思って片付けたのならば気にも止めなかったか、いや、もう縫い切れないと承知していたのだったらば――。

p106

と悟るところがまた切なかった。
着物というのは人が着るものなのだから、色々とドラマがある。

しかも昨今の洋服とは違って、たとえば幸田文の場合などだったら、繰り返し洗ったり繕ったり、仕立て直されたり、最後には座布団になったりと、長いこと使われていく。それだけに、単純に考えるならば、より長いドラマが繰り広げられていく。

着物の魅力を改めて感じた。

<青木玉 「幸田文の箪笥の引き出し」 平成12年 新潮社>

コメント

  1. まり より:

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    やあ、にざどの。
    引用されてる、結婚式の着物エピソードは私も好きだよ。二人家族の愛が溢れてて、胸に迫って来るよね。後、賞を頂いた時、文さんが玉さんと着物を取替えっこする話も素敵だよね。文さんの機微と、思い切りの良さが現れてるし。
    ところで、芸術家の人たちは、着物好きな人が他の分野より多いのかしらねー。たまたま、漫画喫茶で歌舞伎が舞台の話と、着物が一杯出て来る少女漫画を読んだもので、ふとね。

  2. nizaco より:

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    まりどの
    そうそう~ 露伴先生は「無粋なこと」はお嫌いだったらしいけど(確か)、その教育の賜物なのかしらねぇ~
    ぱっと行動に出て、それがぴぴっと決まってるってのが、なんとも粋だよね~
    やっぱりけーじつかは着物とかが琴線に触れるのでせうかね。
    あと今着物がブームになってて、手に取りやすく(アクセスしやすく)なってるからですかねぇ~
    でも私はギャル浴衣、あんま好きになれんです
    着物がいっぱい出てる少女漫画、教えてください

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