「夢乃」という名で「ドリちゃん」というあだ名がかわいい:荻原規子 「樹上のゆりかご」


荻原規子といえば、時代物や洋風のファンタジー(といったら身も蓋もない感じだけど)って感じだが、今回はちょっと珍しく学園物。

とここまで書いて思い出したが、最近出た「RDG」も学園物っぽいね。
ま、とりあえず、今回のお話は、不思議な力を持っている登場人物や不思議なことも何もなく、純粋なる学園物。

そして、私の中では「学園物=恩田陸」という図式が成り立っているものだから、読みながら幾度か恩田陸と間違えてしまった……
“あれ 文章の雰囲気が違うな。なんというか、登場人物に「あく」がない”なんて思ってたら、あ そうか荻原規子だったもんね、となってしまったのだった。
それが示すように、荻原規子の学園物は恩田陸のそれと比べて、やわらかく、“しみ”のないものみたいだった。

一応事件もあって、悪質なことが起きるのだが(パンの中にカッターとか、力を合わせて作ったものが破損されたりだとか)、恩田陸であればその犯人を、情け容赦なく、遠慮なくびしびし描くのに対して、荻原規子のまなざしはどこまでも暖かいように感じた。
つまり、恩田陸の描く学園物は、どんな明るい物語だとしても、どこかしら狂気めいたものが秘められていて、まるで“美しい絵のはずなのにどこかおかしな処があるねぇ あらここにしみがあるわ”的な感じ。

それに対して荻原規子のは、どこまでもきらめいていて、登場人物たちの哀しみや怒りや不条理なところまでも、暖かい光を包含している気がした。

とまぁ 観念的な語りになってしまったが、この年になって“学園物”に興味を持ってしまったようだ。
さて、肝心な話はというと、上田ひろみは辰川高校に通う2年生。

この辰川高校、かつては二高であったらしく、その歴史は長く、もともとは男子校であった学校である。そのため女子の人数が少なく、「男子クラス」なるものが存在する(ひろみは幾度も「女子クラス」も作るべきだと言及し、この「男子クラス」が辰川高校を特徴づけているらしい)。
だからといってただ堅苦しい進学校なのではなく、制服も廃止されて久しく、非常に生徒の自主性を重んじた学校なのだ。

こういう学校の歴史、というか校風がかっちりしていなくちゃぁ、いい“学園物”にはありつけない。
いいぞ いいぞ、とばかりに話が進むのだが、ちゃんとこの後も“学園物”の定石をふんでいく。
例えば、行事に非常に熱心であること。

この辰川高校では、三大イベントとして、合唱コンクール、演劇コンクール、体育祭があって、それぞれに並々ならぬエネルギーを注ぎ込む。そしてもちろん全て生徒主体。

それから学園内に存在する暗黙のルールが存在すること。

あと何よりも、学園が“閉ざされた空間である”ということが深く強調されているのが、“学園物”の特徴であり、醍醐味だろう。

登場人物としては、とりしきる人たちのグループが多いかもしれない。
今回は生徒会執行部の面々が中心となっている。
そして今回の学園の最大のポイントは、この生徒会執行部を中心に学園はまわっていて、大人たちの干渉が少ない、ということかもしれない。
何しろ;

 どうしてそうなのか、校長先生に限らず教師がマイクをもつと、辰川高校の生徒は、わが子が一人で歩いたのを目にした両親のごとく、最大の愛情をこめて応援することになっていた。
 わずかでもジョークを聞けば、それはもう盛大に笑う。かけ声などもかかる。

P38

といった態なのだ。
会長を鳴海智章にすえた生徒会執行部に、中村夢乃によってひろみは引っ張り込まれ、江藤夏郎、加藤健一といった人たちと交流しながら、ある事件に巻き込まれいく……というのが今回の図式である。
その事件というのが、行事への妨害だったわけだが、犯人である近衛有理が持つ“歪み”がちょっと物足らなかったのが、読了後の正直な感想だった。

でも、この“閉ざされた”学園内において、適応できなかった者・異端者が起こした事件だった、というのは興味深かったし、その異端者をオスカー・ワイルドの「サロメ」のサロメと対比させながら語っていくのは、流石だなと思った。

そして、私が学園物を楽しいと思えるのは、自分が学園世界外にいて、でも学園の記憶を持っているからなのかなと思った。

<荻原規子 「樹上のゆりかご」 2002年 理論社>

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