一度でいいから、数学に関して“エレガントで美しい”と思ってみたい:サイモン・シン 「フェルマーの最終定理」


数学なんて大嫌いで、というか算数からして苦手で、試験勉強の時なんざ、比喩でなくて本当に吐き気を催しながら勉強していた。

なのに!何故“フェルマーの最終定理”に手を出したかというと、私と同じく数学が苦手そうな(ごめんなさい!勝手に決めてつけて!!)三浦しをんさんんが「面白い」と言っていたから。
事実、三浦しをんさんが勧めていた「スノーボールアイス」も面白かったし。

借りてみて気付いたのが、本書を参照している小説が割と多いこと。
借りてから他の本・2冊から見つけてしまったよ(法月綸太郎の「しらみつぶしの時計」と伊坂幸太郎の「陽気なギャングが地球を回す」)

さてさて本文に話を進めると
要するに、“フェルマーの最終定理”をめぐっての数学者たちの奮闘記。
本書が数学にあまり明るくない人たちを対象にしていることもあって、“フェルマーの最終定理”そのものよりも、それにかかわった数学者達の話に焦点をあてた形になっていたので、読みやすかったのがよかった。事実、非常に面白かった。

まず、フェルマーの最終定理を簡単に説明すると、
ということは私はできないので(あまりに数学的センスがない!)、ちょいちょい抜粋しながら説明すると、まずピュタゴラスの;

直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい。(p37)

という定理が根底にある。そしてそれは

ピュタゴラス方程式の自然数解を求めることは、第一と第二の正方形の面積の和が第三の正方形の面積になるような三つの正方形を求めることと考えられる。(32+ 42 = 52) (p68)

ということになる。つまり

x2 + y2 = z2

というわけだ。
ところが

x3 + y3 = z3

となると解が成り立たなくなるのだ!
そしていよいよ“フェルマーの最終定理”の登場となる。
17世紀のアマチュア数学者・ピエール・ド・フェルマーがディオファントスの『算術』の本の余白にメモを走り書きしたりしていた。その問題8の横の余白に

<ある三乗数を二つの三乗数の和で表すこと、あるいはある四乗数を二つの四乗数の和で表すこと、および一般に、二乗よりも大きいべき(傍点)の数と同じべき(傍点)の二つの数の和で表すことは不可能である>(p117)

と書いたまま、しかも更にいじわるなことに

<私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことができない>(p118)

と残してこの世を去ってしまったのだった。
一見簡単そうな(私が言っているのではなくて本書がそう言っている!)この命題、数学者が知恵を絞っても全然解けない。

フェルマーは実は間違っていたのではないか?という憶測まで飛び交うまでにもなり、3世紀も解かれることがなかった。

それが1993年にアンドリュー・ワイスによってついに証明されたのだった。
その証明に至るまでの各数学者の道のりや、アンドリュー・ワイスの研究がこの本の筋となっている。
では、数学にまったく興味がない(というか興味が持てない)私にとって、この本書の魅力は何かというと、前述通り数学者の生き様が見れることだった。
数学というのは本当に私にとって手に届かないもので、数学者なんて別世界の人、しかも無条件に尊敬してしまう人である。

そんな人たちの苦悩・努力・栄光を垣間見るのは、本当に面白かった!
例えば、目が見えなくなっても数学に従事したレオンハルト・オイラーだとか、女性蔑視の風潮が渦巻く18・19世紀フランス社会の中で、男のふりをして研究していたソフィー・ジェルマンだとか・・・
そして誰よりも心に残ったのは、日本人の数学者谷山豊と志村五郎だった。
谷村=志村予想というのを使ってアンドリュー・ワイスは“フェルマーの最終定理”を証明したので、本書でも何度もクローズアップされていたし、同じ日本人だし、ということで心に残ったのかもしれないが、純粋に谷村が自殺をはかり、その遺志をついで志村がその理論を確立した、という話がじーんときた。

そうやって数学者たちを見ていると、なんだかファンタジー世界の(=私の理解の範疇を超えた世界の)孤高なる(=問題に向き合っている時は一人だし)勇者(=問題と格闘している)に見えてくるから不思議。

<サイモン・シン 「フェルマーの最終定理」 平成18年 新潮社>

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