「いぬき」って源氏物語に出てきたような: 森谷明子 「千年の黙 異本源氏物語」


試験前になると部屋がきれいになると言うが、私の場合はまったくそんなことがなく、簿記試験をあさってと迎える(日付が変わっているから明日か)今も、いつもの通り汚い。というかいつも以上。
その代わりといっちゃあなんだけど、読書が進む進む……。

ということでこんなに試験に迫っているのに、勉強もそっちのけで読み終わったのが「千年の黙 異本源氏物語」。

ついこの間読んだ「七姫幻想」が面白かったから、森谷明子さんの他の本を読みたくなったのだ。
ちなみにこの本は第13回鮎川哲也賞受賞作品。
平安時代好きで、清少納言より紫式部好きの私とてしては、二度も三度もおいしい題材だった。

というのは、なんと本書は紫式部が安楽探偵みたいなことをしてるのだ!
3部構成になっている本書は、少しずつ時代が異なり、ストーリーテラーも変わる。

1部目は、香子(紫式部)の女童のあてきがストーリーテラーとなっている。
この頃の香子は「源氏物語」の桐壺を書き終えていて、娘の賢子も生まれ、夫婦仲も円満。
ただ辟易しているのが、娘を後宮に入れたい道長から、彰子付きの女房にならないかとリクルートされ続けていること。
事件はというと、中宮定子様がお産のために下がった折に、帝の猫を連れて行ったのだが、その猫がいなくなってしまったのだ。

折しも猫の世話をしていたのが清少納言だったから笑える。しかもうるさい人物になっていたし。どうしても紫式部派と清少納言派って分かれるのかしらねぇ。
それはそうと、その猫がいなくなったということで怒った帝は、捜査を命じる。
ま、それを香子が解決するのだが、それが縁で香子と彰子は初顔合わせを果たす。

第2部はそれから何年か経ち、あてきは小少将という名前になっている。
紫式部の夫は亡くなり、でもまだ宮中に仕えていない。
前半部のストーリーテラーは、第1部の猫騒動をきっかけに知り合った、元子女御様の女房・小侍従。
元子女御様の邸で不審な笛の音が聞こえる、という事件を持ってくるのだが、それはただ次の話の定石でしかない。
小侍従と話す中で、紫式部は世の中に出回っている「源氏物語」が欠陥品だということに気づくのだ。
「桐壺」と「若紫」の間に「かがやく日の宮」という帖があるはずなのに、小侍従はそれを知らないというのだ。

しかも小侍従だけでなく、他の身分の高い人からまで問い合わせがある始末。
実際に学会でこの説があるらしく、「源氏物語」を読んだことがない私の預かり知らぬところだが、「桐壺」と「若紫」の間にはっきりとした断絶があるらしい。

それは何故か?という話なのだが、自分の書いたものが世に出回る怖さ、自分の書いたものが他人よって変えられてしまう哀しさ、などが伝わって良いお話になっていた。
特に紫式部が、それに関して誰かを責めることもなく、犯人を見つけても彼に言及することもなく、じっと耐えているのが、紫式部らしいというかなんというか。でももどかしい気持ちにはならなかったから、紫式部の気持ちみたいのに共感できたのかな、と思った。

それだからこそ、第3部にて道長に

「源氏の君の最期をこれほど安楽に定めてしまってはならないのです。人はだれも後悔にさいなまれながら晩年を送ればよろしい。それが神ならぬ人にできる精一杯の祈りというものでしょう。」

(p297)

と言って、書き上げた「雲隠」を燃やしてしまうシーンがぐっと生きてきている気がする。
鮎川哲也賞の選者の一人、島田荘司氏が言うように、平安時代とか「源氏物語」に興味がない人にとっては面白くない話だと思う。
事件と言えば猫失踪事件とか、不思議な笛の音事件とか、本の一部消滅事件しかないから。
でも私としては、そんな些細な事件でもゆったり解決していく感じが、王朝の雅でいて、それでいて裏で欲がうずまく感じがよく出ている気がして十分楽しめた。


森谷明子 「千年の黙 異本源氏物語」 2003年 東京創元社

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