漢字が難しかったデス:谷崎潤一郎 「潤一郎ラビリンズVII 怪奇幻想倶楽部」


梨木香歩の「f植物園の巣穴」を読み終わってAmazon.co.jpのカスタマーレビューを読んでいたら、「谷崎潤一郎の『病褥の幻想』や夏目漱石の『夢十夜』やアリスが入り混じった感じ」という文章があった。
ということで非常に気になった谷崎潤一郎の『病蓐の幻想』(こちらが正しい字)が読みたくなる。
よく考えたら「陰翳礼讃」くらいしか、谷崎は読んでなかったなぁ、と思いつつページをめくると、

知ってはいたけど、なまめかしいですな。
それが第一印象でした。

本書はタイトルが銘打っている通り、「怪奇」で「幻想」的な短編を5作収録している;

「病蓐の幻想」

本書を手に取ったきっかけとなったお話だが、確かになんとなく似てる。歯が痛くなるところや、幻想と現実が入り混じっているところとか。
でも設定だけしか似てませんね(当たり前だけど)。梨木果歩の方はメルヘンチックだけれども、こちらは陰鬱としている。何せ“幻想”の部分が地震なんだから!
さすが!と思ったのが、歯痛の表現;

そうして一々の歯の痛み工合(ぐあい)を、よく注意して感じて見ると、痛むと云うよりは、Biri Biri-ri-ri!と震動して居るように想われた。

(p12)

“ビリ ビリリリ”と書かず、あえてアルファベットで書いたところが、擬態語としては特殊なものではないはずなのに、妙に“r”の舌を巻く感じが強調されているようで、なるほど震動してる感が出る。

「白昼鬼語」

神経病の気がある園村が「今夜殺人が起こるから、それを見に行こう」と誘われる主人公。気でも違ったのかと思ったが、園村が心配なので一緒についていく。壁の穴から覗き込むと、本当に殺人が行われていた!
とどことなく乱歩調な話だけれども、女性の描写とか非常になまめかしい。
最後のオチが納得いかないけれども、これを純粋なる「怪奇小説」として読まないで、女性描写が主なるお話とみると、なるほど違った様相を帯びている。
最後の解説を読んだら、江戸川乱歩にこれと似た作品があるらしい(時代としては乱歩の方が後)。私の「読む本リスト」に加えられたのは言うまでも無い。

「人間が猿になった話」

芸者屋でのお話。芸者屋のおじいさんが芸者衆を集めて昔物語をする。
おじいさんがまだ若かりし頃、その当時2番手だった芸者・お染がいた。ある日猿回しが連れてきた猿がお染の袂にかじりつき、そのままなかなか離れない。
その場は猿回しが引き離して事なきまま終わったが、その日を境にお染の周りにその猿がまとわりついて離れなくなる。猿が言うには、お染に懸想した、この想いが遂げられるまで付きまとうぞ、とのこと。
なんとも奇妙な話で、芸者衆が話を聞き入っている姿は艶やかだったけれど、どうも猿ってのがなぁ。
犬とかだったらまだ許せるけど、猿ってのが妙に現実的に感じてしまって気持ち悪かった。

「魚の李太白」

お嫁入りのお祝いとして、親友から縮緬の鯛の人形をもらう。
その姿の愛嬌の良さに大事にしているのだが、義母から促されてほどくことになる。
すると鯛がしゃべりだして… とちょっと御伽噺のようなお話。
というか、頂いたプレゼントをほどくってのにびっくりした。
しかもそれが当たり前のようなのが尚びっくり。縮緬をほどいて着物の裏にするって言っていたが、なるほど昔の人は、そうやって再利用をしていたのですかねぇ。

「美食倶楽部」

暇と金をもてあまし、食べることが何よりも好きな紳士達5人で構成されている“美食倶楽部”。
日本中の美食を食べつくし、次に食べるものが思い当たらない会員。
ある日、一会員が散歩していると、非常においしそうな支那料理の匂いがする。ふらふら近寄ってみると、料理屋ではなくて会館らしい。
結局そこで食べることは適わなかったのだが、食事の様子を垣間見ることは許される。
それを見て研究し、美食倶楽部で再現することになる。

次に食べるものが思い当たらない、というところで、ふと綾辻行人の「眼球綺譚」を思い出して(別に美食家の話じゃなかったけど)、そういうゲテモノに走るのかと思いきや、さすが谷崎潤一郎。「艶」に走りました。

とはいっても、この話はなんか気持ち悪かった。
自分は食べることが好きな癖に、豚みたいに食べ物を食べるのは醜いと思ってしまう……。同属嫌悪ってやつですかね。


谷崎潤一郎 「潤一郎ラビリンズVII 怪奇幻想倶楽部」 1998年 中央公論社

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