「あとがき」以降のページがあまりに長すぎると思う:我孫子武丸 「弥勒の掌」


新本格派で京大出身メンバーといえば、綾辻行人・我孫子武丸・法月綸太郎。
高校生の頃好んで読んでいたが、法月綸太郎はともかく、綾辻行人・我孫子武丸はパタっと書かなくなってしまった。スランプらしいとは聞いていたが、首を伸ばして待っているうちに、首が疲れてしまい自分の中でその存在が薄くなってしまったが……

まずブックオフで見つけて、次に本屋に山積みになっている「弥勒の掌」を見つけて、嬉々として図書館から借りてきた。
応援のつもりで買ってもいいかと思ったけれども、先に出ていた綾辻行人の久しぶりの“館シリーズ”「暗黒館の殺人」に割とがっかりしたので、様子見で図書館で借りてみたのだ。

読了後の感想と言えば、買わなくて良かったーーーーというものでした、はい。
何せ我孫子作品を読んだのが昔すぎて、「かまいたちの夜」はさすがに面白かったな、とか、“人形シリーズ”が1番好きだな、とか、いやいや“殺人シリーズ”(特に「メビウスの殺人」)が1番だ!、とか、「殺戮にいたる病」は怖いけどあんなのを書く作家っていないだろうしすごいよな、という感想は覚えていても、実際にどんな内容だったかとんと覚えていおらず。

従って、我孫子武丸ってこんなんだったけ!?というのが正直な感想。
(以下、ネタばれを含むので注意)


大体、始まりはいいですよ、始まりは。
導入部分は面白くてサクサク読んじゃったし。

まず主人公は2人。妻が出て行ってしまった(らしい)教師と、妻が殺害された警察官。
教師の方は、家庭内別居状態だったので妻が出て行ってしまったのかと思いきや、どうやらいなくなってしまったらしい。なので妻を探すことになるのだが、一方、警察官の方も妻の無念を晴らすべく、一人で捜査を進める。

そんな中どちらもが行きあったのが、“弥勒様”を崇める新興宗教「救いの御手」。
その本部に乗り込んだ先で、二人は偶然出会う。
そこで協力し合うことになるのだが……
と書くと本当に面白そう(実際面白かったんだけどね)。

なのにあのオチはないんじゃない!?と言いたい。
結局、読者が簡単に予想する通り(というかそれ以外に何があるの?)、「救いの御手」はインチキ宗教。

しかし二人の妻を殺害(教師の妻も途中で殺される)したのは「救いの御手」ではなかった。
そのからくりも、読者を目くらましにあわせる感じで、発想は面白い。
ついでに言えば、なにも「救いの御手」がインチキ宗教だったというオチに怒っているわけではない。
では何があんまりだと思ったのかというと、まず“インチキ宗教だった”という結論をあっさりと出しすぎ。

そして妻を殺害した犯人の種明かしもあまりにあっさりしすぎ。
何せ教祖の“弥勒様”が、「私たちはインチキ宗教です」とあっさりと認め、「でも私たちが殺したんじゃないですよ~」とぺらぺらっと真相を語って終わり。
挙句の果てには

 すべてが終わった翌朝、弥勒は二人に名前を授けた。辻には白蓮大師、そして蛯原には金剛大師。
 彼らは今や分かちがたい仲間だった。

(p263)

てな文で終わる。
まるで語尾に“ちゃん、ちゃん♪”っていうのが付きそうな勢いじゃないか!

あとがきに「はあ……ようやくできました。(p264)」なんて書いてるから、本当にさっさと終わらせたかったんですかねぇ、といじわるに思ってしまうよ。
今度の作品は、最後まで踏ん張って頑張って欲しいもんだ!(偉そうだね!)
(そして実は、次の作品をちらっと読んだことがあったんだった)


我孫子武丸 「弥勒の掌」 2005年 文芸春秋

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