前作からちょっと離れてしまったので、読む気が薄れてしまっていたが、読み始めたらまたもやグア――ーっと読み終わった。そのおかげで部屋の片づけが全く進まぬ……
なんて本のせいにしてしまったけど、今回もパニック映画みたいな勢いなもんだから、途中で本を置くのが惜しかったのは事実。
ただパニック映画じゃなくて困ったのが、視覚に訴えるものじゃないから、人物を把握するのがめんどかった。「この人誰だっけ?」っていうのが多かった。
ま それは本のせいじゃなくて私のせいですがね。
今回は木梨香流の活躍が少なかった。
代わりに活躍したのが十文字雄斗。
珠星の子どもで、珠星の個体の意思を持つヤモリと共に、ゲッコ―族のふるさと・サイパンに行ったりして、なかなかの活躍ぶり。
舞台はまたしても京都。
先の被害から完全に復興してはおらず、真行寺君之も紅姫に連れられて時空の狭間にいる。
そんな京都にまたしても人外のものが現れるのが本筋。
今回は宇宙人(だよな?)ってのだからびっくり。
曰く、地球に人類が誕生する前に、宇宙より“黒き神々”っていうのがやってきた。それと共に他の星のものもやってきたのだが、黒き神々っていうのがものすごく残酷で、他の星のものから反感をかい追い出されてしまう。
それが現れてしまう、というのが大まかなストーリー。
…と思う。
なんだか、わーわーわーと話が進んで、読んでる時は楽しんでいるのだが、読み終わって改めて考えると、なんだったっけな?という感じなのだ。
とにかく、黒き神々は“青い民”だかを味方につけたい。そしてこの青い民というのは「鬼」であって、姿を隠して決して人などと交わらないようにしている。
最終的には珠星やら天狗やらの力を借りて、前作で消滅させた妖怪を呼び起こし、黒き神々がばらまいた昆虫っぽい化け物を退治させ、その後には鏡に閉じ込める。
他にもビシマこと“飛島”が出てきたり、黒き神々の「神官」が出てきたりするのだが、面倒くさいので省略。
その代わりといっちゃあなんだけど、物語の設定として面白いところ、というか柴田よしきさんの思想っぽいのを抜粋;
(ゲッコ―は姿を変えられ、昼間は外敵から身を守るため木などに変身している、という千早の説明に、香流が犬とかに化ければいいのに、とコメントした後)
(p399)
「それが人間の発想なのですね…(中略)…
人は必要以上のことを常に望みます。…(中略)…身を守る為とは言え、敵よりも圧倒的に強いものへと変身することを一度覚えたら、もう二度と弱いもので満足するということをなくなるでしょう。そしていずれは身を守る為以外の目的でも、そうした強いものに変身して生きるようになり、やがて己の本来の姿に戻ることを拒否して偽りの姿を通すようになります。それが欲望というものです。」
「どうしてなんですか?人間が何かを想像することが、どうしてそんなにその闇の神には脅威なのかしら」
(p496-497)
「うん、これは地球という星の特殊な事情によることらしい。地球ではの、闇の神々が到来するずっと以前、おそらくは地球独自の生命体が発生して進化を続けていた過程で、物質的な世界と生命体の持つ意志、つまり精神的な世界とが分離してそれぞれに存在するようになった。この精神世界はその精神を生み出した肉体の世界と表裏一体となって存在しておるのじゃが、その中間に生まれてどちらの側にも存在し得るもの、それが妖怪じゃ。つまり妖怪とは、生き物でもあり概念でもある。妖怪を退治したり封じ込めたりする所業の総ては、実際の討伐や戦いであると同時に、概念の戦いでもあるわけじゃの。従って、頭の中で想像することが出来ない者にはその姿は見えず、戦うことも出来ない。」
まだ完結していない終わり方だったので、熱が冷める前に読まなくては!
柴田よしき 「禍都」 2001年 徳間書店
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