解説は川原泉だったよ!:辻村深月 「冷たい校舎の時は止まる 下」


ぶっ続けで読んだ「冷たい校舎の時は止まる」の下巻。
いやぁ~ そうきたか!といった終わり方だった。
私は割りと納得いった。

“読者への挑戦”的なものがはさまれていた時には、「え!?これは推理小説だったの!?」と驚いたし、うーん まぁ 『解答編』も“本格派”好きからしたら、ちゃんと所謂、本格派推理小説の解答のようになっていない気がするけれどもよしとしましょう。
ちなみに自殺者は、「もしかして、この人…?」とちらっと思った人だったよ。負け惜しみでなく。
あと、「この人って犯人じゃないだろうけど、絶対なにかあるよね」と思った人も、ちゃんと何かあった。負け惜しみでなく。

この先は激しくネタばれなので注意;


とじこまれた8人だが、その中で主人公格の辻村深月には、いわれない無視にあうという経験があった。
それで精神的に参ってしまった彼女は、誰にも言うことができずに、拒食症になったり人間不信に陥ったりしていた。
その時に救ったのが、この7人と、担任で幼馴染の先生だった。

でも彼女の精神状態からして、自殺者は深月じゃないかという疑念がたびたび起こるのだが。
ま こんなあからさまな人が自殺者じゃないでしょ、ということで除外。しかもだね、作者と同じ名前ってところではぶかれてもいいんでないかと思う。

ということで、私の中ではとっくの昔に彼女は除外されていたのだが、いい意味で裏切られたのが、彼女が皆を閉じ込めた当の本人だったということ。
そしてそれまで、“閉じ込めた人=自殺者”という等式が成り立っていたけれども、実は別々の人だった、というのもいい裏切りだった。
自殺者は、深月を無視した子だったのだが、なぜ私が“あやしい…”と思ったかと言うと、登場人物がその子について話すのを読んでいくと、一番自殺する理由がありそうだったから、というなんともぼんやりとした理由だった。

というか、消去法で考えると、っっどうかんっっがえても深月か、その子しかいない気がしたから。
そして深月は、前述の通り除外してしまうと、その子しかいないし。
でも私の中では“閉じ込めた人=自殺者”という等式が前提としてあるから、自分の仮説が信用できたなかったのだが。

あと、おかしいな、と思っていたのは、停学明けの菅原。
上巻のしょっぱなで、深月が菅原の名前を馴染みなく感じるシーンがある。その時点で、菅原要人物と私の中にインプットされていたのだが、菅原の回顧シーンでジーンと来ているうちにケロッと忘れてしまっていた。

タネを明かすと、菅原という人物は彼らのクラスメートに存在せず、彼こそが“菅原榊”、彼らの担任の榊さんだったのだ。
確かに読み返すと、菅原の初登場シーンだけ、フルネームが出てこない。他の登場人物にはあるのに。
あと、菅原の中学校時代の回顧シーンで、この高校に行くか行かないか迷うシーンがある。
その時に『校舎は古いし汚いし嫌だ』という台詞があるのだが、その前に深月たちの期の直前に、校舎の建て替えがあり、そのおかげで倍率がはねがあがった、というエピソードがあったので、“あれ?”とも思ってもいたのだった。

それなのに“菅原はよく高校のことを調べていなかったのかな”なんて暢気なことを思っていた自分が悔しい!
それはそうと、上巻のときに、彼ら一人ひとりの回顧シーンが長い、と書いたが、菅原の回顧シーンが殊更長かった。
彼の中学校の時の話なのだが、もうそれだけで1冊の本になるかと思うくらい、綿密に書いてあるし、実際下巻の5分の1は使っていると思う。
でもそれが無駄に長いのではなく、菅原が菅原榊だった、というくだりがすんなりいくような仕掛けになっている。
もしかしたら、それをする為のそれぞれの回顧シーンではなかったのかと思うくらい。

というわけで、回顧シーンはうまく機能していたのではないかと思う。
それはそう思うのだが、最後の終わりかたはちょっと蛇足気味なのが続いた気がする。もうちとスパッと終わってもよかったのはないか。
でも読み応えのある一冊だったので、総合的には良かったと思う。


辻村深月 「冷たい校舎の時は止まる 下」 2007年 講談社

コメント

タイトルとURLをコピーしました