一緒に動物園に行ったお兄さんが何気にツボだった:辻村深月 「ぼくのメジャースプーン


違うところの読書会で勧められた辻村深月の「ぼくのメジャースプーン」。
こうも続けざまに、しかも違うところで紹介されるってことは、相当人気なのかな、辻村深月さん。

でも確かにこの「ぼくのメジャースプーン」も面白かった!
なんか非常に感動したし。
しょっぱなから「ぼくには、他の人にはない不思議な力があって」(p13)と始まるから、“お 超能力ものか!?”と思ったが、これがただの超能力ではない。
ちなみに講談社Novelsから出てるので、単純な私は、超能力で謎でも解決するのか?と思ったが、それも違う。
簡単にいえば、その“不思議な力”を使っての復讐の話だった。

以下ネタバレ含むあらすじ;


主人公の“ぼく”には不思議な力があって、それは「○○しないと○○になる」という言葉を囁くことで、その人を縛る“呪い”みたいなものをかけられるというものだ。
ここからして、すでに使い古されているような超能力ものと一線を画すのだが、この「○○しないと」というところはその言われた相手にとって本当に嫌なことではないと効かないし、しかもその人に対しては一回限りしか効力がない。
などなどと、色々な制約がある。
その能力を知らず、初めて使った日には、母親はショックを受け、“ぼく”に「絶対使わないように」と約束させる。

それが二年生の頃で、本題は四年生の時のお話。
“ぼく”の近所に住む友達で、同じ学校に通う同級生に“ふみちゃん”という女の子がいた。
ふみちゃんは精神的に成熟したような子で、皆に慕われるが、特定の友達がいない、でもそれも気にしない、というような子。“ぼく”はふみちゃんのことを単純に好き、というより尊敬をしている。
そんなふみちゃんは、低学年の頃から学校で飼っているうさぎが大好きで、四年生になり、うさぎ当番が発生すると、他の子がさぼりがちなのも率先して世話をするくらい。

ある日、“ぼく”が風邪をひいてしまい、ふみちゃんが代わりに朝当番に行った日。
ふみちゃんが学校の校門をくぐろうとすると、そこには青年が立っていて不躾なことをふみちゃんに言う。ふみちゃんが逃げるようにうさぎ小屋に行くと……。
無残にもうさぎは裁ちばさみで切り刻まれていたのだ!!!
それをきっかけに、あんな聡明だったふみちゃんは声を失くし、心あらずの状態になってしまう。
一方犯人であるその青年は、すぐ捕まるのだが、あんな残忍なことをしても相手はうさぎ。器物破損という軽い刑にしかならなかった。

その犯人と対面できるようにセッティングを、“ぼく”は声を使って先生に頼む。
それを知った母親は、同じ力を持つ親戚である、大学教授のもとへ“ぼく”を行かせるのだった。そこから先生と“ぼく”の授業が始まる。
この授業がまた深くて、“復讐はなにか”というところから始まって、“被害者が加害者になる可能性”だとか、“被害者は加害者に本当は何を望むのか”といった議論が展開される。
そして最後に“ぼく”が決めた、犯人に言う言葉というのが<ネタばれ注意!>「今すぐここで、ぼくの首を絞めろ…(中略)…そうしなければ、お前はもう二度と医学部に戻れない」(p308)というものだった。
それがまた衝撃的で泣けてしょうがなかった。

その後の先生に「せんせい、人間は身勝手で、絶対に、誰か他人のために泣いたりできないんだって本当ですか」(p323)というところでまた涙。
先生がそれに対して言うのが

「自分のエゴで、自分の都合で、時に結びつき、時に離れ、互いを必要とする気持ちに名前を与えてごまかしながら、僕たち人間は発展してきた。ずっとそれが繰り返されてきた。今、小さなあなたが一人きりで責任を感じてなくことは何もないんですよ。――ふみちゃんが悲しいことが、苦しいことが、本当に嫌だったんでしょう?それを愛と呼んで何がいけないんですか」

(p324-325)

で、これまたじーーーんとしてしまった。
いやはやすごい。
私もはまりそうだな、辻村深月さんに。


辻村深月 「ぼくのメジャースプーン」 2006年 講談社

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