『野幇間』って「坊っちゃん」の造語ではなかったんだね:古今亭志ん朝 「志ん朝の落語5 浮きつ沈みつ」


後は1冊のみを残してしまった“志ん朝の落語”。
読めば読むほど落語を聞きに行きたくなるのだが、いまだに実現せず…
今回のテーマは「浮きつ沈みつ」ということで、今までの“情”を中心にした話とうってかわって、人物の人生(というほど長くはないのもあるけど)が語られていて、それでもやっぱりその裏には人の情というものがあって、となかなか面白かった。
収録されている作品は以下の通り;

「火焔太鼓」

いつも売り物にならないような物ばかり仕入れてくる道具屋の亭主。ある時またもや汚い太鼓を仕入れてくる。
ところがお殿様からお召し上げとなる。なんでも“火炎太鼓”と呼ばれる珍しい太鼓なのだそうだ。
怒っていたおかみさんも浮かれて、「これから音のする物に限りるね!」と言えば、亭主も「今度半鐘を買ってきて鳴らすよ」と言うと、「半鐘はいけないよ、おじゃんになるから」とおかみさん。


「へっつい幽霊」

“へっつい”というのが何か分からなかったので、全然想像していたものと違って、最初は何がなんだか分からなかった。なんでも、かまどのことで、据置・大型の土器製品で主に飯炊きに用いるそうな。

なにはともあれ、曰くつきのへっついを買ってきた主人公。その夜、幽霊が現れる。なんでもそのへっついに二百両を塗りこめたまま死んでしまった。その二百両のことで未練でたまらない、という。
主人公が山分けしよう、というのに渋る幽霊が賭けを持ちかける。結局主人公が勝ってしまうという話。
この幽霊とのやり取りが面白かった。幽霊の登場シーンなんて

「うらァーめェーしィー……」
「なにをッ?うらめしい?(怒鳴り声で)おれァてめえにそんなことを言われる覚えはねえッ!」

(p57-58)

と啖呵をきれば、金山分けを嫌がる幽霊に

(幽霊)「てめえがそういう了簡ならァ、おれァ、毎晩、出てくるよォ」
「おう出てきな、一人で退屈してンだよ。よかったら一緒に寝てやるぜ」

(p63)

とやり返すところなんて、いかにも江戸っ子!って感じで気持ちがいい。

「船徳」

若旦那が、惚れた女におだてられるのに気をよくして、船頭になろうとして大変迷惑がかかる話。

「宿屋の富」

またもや出てきた、“富”こと宝くじ。
大変な金持ちの若旦那のフリをして宿に泊まった男。成り行きで富を買うハメになってしまう。
なけなしのお金を使ってしまったが、なんと一等を当ててしまうというお話。
金持ちのフリをしてふく法螺が面白かった。

「小金餅」

病に伏す坊主を隣に住む金兵衛が訪ねる。乞われるまま大量のあんころ餅を買って来るが、それに招かれないので憤然としてちょっと覗いていると、なんとその坊主、あんころ餅に溜めこんだ金を包みこんで食べていたのだ。ところがのどをつまらせて死んでしまう。
すべてを見た金兵衛は策を講じて、死体から金を取り出し餅屋を出して繁盛した、という『黄金餅の由来』話。

「鰻の幇間」

幇間が旦那にまとわりついてご飯をごちそうしてもらうつもりだったのに、逆に騙されて、旦那と思ってた人に食い逃げされてしまう話。

「夢金」

超ケチな船頭。ある雪の夜、おひねりにつられて訳ありっぽい武士と若い娘の二人のために船を出す。
話を聞けば、その娘は武士にかどわかされたらしく、武士に金をはずむから一緒にこの娘を殺さないかと持ちかけられる。それをすんでのところで交わし、武士を中洲に置き去りにして、その娘を助け出したんまり報酬をもらう…と思ったら夢だった、という話。






「宗の滝」
この話が本書の中で、一番好きだった。

江戸時代に宗という腰元彫りの名人がいたそうな。その弟子宗三郎は師匠に勘当されて、放浪していた。そのうちお金も底がつき無銭で熊野の宿に泊まろうとしたことをきっかけに、その宿の主人が宗三郎の後ろ盾になり、紀州和歌山の殿様のお召し上げとなるという話。

これの何がいいって、一度は心を入れ替えた宗三郎は、途中で気が大きくなってしまって、せっかく宿の主人がとってきた仕事をお酒を飲みながらやったりなんかしておじゃんにしてしまう。そこで主人が喝を入れる;

「お前、腕に覚えがあるんじゃないぞ。酒を飲まなきゃア、もうこわくって仕事ができねェんだ!本当に…。あたしァ、情けない話だよ、本当に、ええ?みんなにいろんなことを言われてんだ。物好きだのなんだの。だけどそれは聞こえても聞こえないふりをして、お前の世話をしてきたんだよ。え?ゆんべなんぞァ、なんとかして今度の仕事が紀州様[むこう]に納まるようにって、あたしァ奉公人にわからないように水垢離をして、そして、きょう持ってったんだ。えェ?案の定じゃなねえか、ばかやろうっ。」

(p280)

ただの宿の主人なのに、ここまでする人情ってやつに、ホロリとしてしまったよ。
熊野だから本当は江戸弁じゃないけど、こういう啖呵はやっぱり江戸弁がしっくりくる気がする。

「もう半分」

これは怪談話で、不条理なうえ、割と怖かった。

夫婦二人で営む居酒屋に、ある晩、もう店を閉めるという時分に客が現れる。その客が帰っていって掃除をしていると五十両の忘れものを見つける。旦那は正直にその客を追いかけようとするが、妻はそれを反対する。
慌てふためいた客が、あのお金は娘が吉原に身を鎮めてこさえてくれた金なんだ、と訴えても妻は知らぬ存ぜぬ。
やっぱり返しに行こうとする旦那が見たのは、その客が身投げするところであった。
その五十両で店を再建して繁盛し、ついには子どもができる。
しかしいいことは続かず、妻は死んでしまい、しかも子供は不気味に死んだ客に似ている。最後はその客の生まれ変わりと分かって終わる。

「富久」

酒で失敗した幇間。ひょんなことから富を買う。
ある晩、世話になった旦那の家の方角で火事がおきる。そこに駆けつけたのをきっかけに旦那の許しを得るのだが、今度は自分の家が火事に見舞われる。
まぁ、焼けて惜しいものはなし、旦那が家に置いてくれるってんで良かったが、いつまでも世話になるわけにいかない。

ほうぼう歩いているうちに、富の結果発表に出くわす。なんと!一等が当たっているではないか!
しかし控えとなる札は、自分の家の宮に入れておいたもんだから、火事で焼けてしまった。
なんてこったい!というところを、旦那のところを出入りしている棟梁が、火事の際にあまりに立派でもったいないからということで、その宮を救出してくれたことを知る。

「茶金」

この話はどうにも聞いたことがある気がするが、どこで聞いたのかすっかり忘れてしまった。
京都に茶金と呼ばれる、大変な目利きの道具屋がいた。彼が手にとって首を一つかしげるだけで百両の値打ちというくらい、重宝されていたのだった。

ある時、茶屋でお茶を飲んで、その茶碗をじっと見つめ、六回首をかしげて、茶代を置いて行ってしまった。
それを見ていた油屋さんはもう大変。600両の値打ちだ!ということで、同じく見ていた茶屋の主人を三両となけなしの油とで説き伏せて買い受ける。

それを持って茶金さんに会いに行くのだが、それはただ、ひびも何も見えないのにお茶が漏れるから首をかしげていただけだった。

哀れに思った茶金さんは、その油屋に十両を貸してあげることにする。
ところがなんの因果か、その話がとんとん拍子に帝の耳に入り、恐れ多くも御色紙を書かれたりなんかして、千両で売れることになってしまった。
そのうち三百両を油屋に渡して…というお話。

「芝浜」

これは「タイガー&ドラゴン」で使われていて、オチまでよく覚えていた話だった。
酒で失敗し続けている魚屋さんが、おかみさんに怒られて芝浜に行くと、五十両の入った財布を見つける。
それを持って帰宅し、酒をまた飲むが、またもやおかみさんに起こされる。仕事に行くようせっつくおかみさんに「五十両があるのになぜ!?」と怒ると、おかみさんは「何の話をしているの?」といった態。

どうやら財布を見つけた夢をみたらしい。
それからおかみさんに諭されて、酒も絶ち、商売も繁盛して、借金のない年越しを過ごすことになった時、おかみさんに告白される。
実は財布は夢ではなく本当で、いくら拾ったとはいえ、そのまま使ったら罪になるから、ということでおかみさんの気転で夢だったことにしたんだ、と。
ドラマで見るよりも、おかみさんの言い分がしみじみと良かった。

古今亭志ん朝 「志ん朝の落語5 浮きつ沈みつ」 京須偕充・編 2004年 筑摩書房

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