「明治維新を批判」というのが珍しかった:金子光晴 「金子光晴 ちくま日本文学038」


なんとなく詩って苦手なのよね。
というか、文章って短ければ短い程苦手なのよね。だから短編集も苦手だし。
そうなると詩なんて苦手なのは当たり前なのよね。
などという言いわけにより、随分前に幸田文のと共に買っていたはずなのに、全然手を付けていなかった、“ちくま日本文学”シリーズより金子光晴。
いよいよ読む本が少なくなってやっと手を付けた。
表紙絵は好きなんだけどね。

実は、金子光晴って名前は知ってるし、詩人ってことも知っていたけれども、情報はここでストップ。
なんと金子みすゞの旦那だと思っていました…!
あまつさえ、金子みすゞの旦那がひどい、という情報はあったので、「金子光晴ってひどい人」という認識さえ持っていました…
とんだ濡れ衣。二重にも三重にも重ね重ね申し訳ない…
とにかくそんな調子で読み始めたものだから、「おっとせい」なんて題名の詩を見つけたら、金子みすゞのイメージがあるもんだから、童話調・メルヘン調なのを想像して読んでみると、しょっぱなから;

そのいきの臭えこと。
くちからむんと蒸れる、
そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしてること。

(p24)


衝撃ったらあらしません。
でも読んでいくうちに、金子みすゞのようなメルヘンチックな詩よりも、こういう泥臭い、汚いものは汚い詩って好きかも、と思ってしまった(そもそも何の関係もない金子みすゞと比べるのは間違えだということは置いておいて)。

もう一篇の詩 (人間の悲劇 より)

恋人よ。
たうとう僕は
あなたのうんこになりました。
そして狭い糞壺のなかで
ほかのうんこといっしょに
蠅がうみつけた幼虫どもに
くすぐられてゐる。
あなたにのこりなく消化され、
あなたの滓になって
あなたからおし出されたことに
つゆほどに怨みもありません。
うきながら、しづみながら
あなたをみあげてよびかけても
恋人よ。あなたは、もはや
うんことなった僕にきづくよしなく
ぎい、ばたんと出ていってしまった。

(p80-81)

なんて妙に気に行ってしまった。
別に下ネタ好きでもなんでもないけど。この詩はからっとしてて、面白くて、「ぎい、ばたんと出ていってしまった」なんて絶妙で好きになってしまった。
そして詩以外に
・詩人 金子光晴自伝
・どくろ杯 より
・マレー蘭印紀行 より
・日本人の悲劇 より
が収録されているのだが、まぁ それのすごいことすごいこと。
「金子光晴自伝」に完全にノックアウトされてしまった。
一言で言えば“金子光晴ってとんでもないやっちゃな”。
自伝だから卑屈に脚色しているのかもしれないけれど、本当にひどいやつ。
こんな奴と間違っても友達になりたくない。
でも周りに人が集まっているようなので、自分で描いているよりも、よっぽど『マシ』な人なのかもしれないけど。

あと「どくろ杯」は、上海での暮らしぶりが書かれているのだが、それもまぁすごい。
もう描写が汚い汚い。
本当に林芙美子のエッセイを読んでいても不思議だったのだが、どうしてこういう人たちは、こんなにもお金がないのに、なんとか暮らしていけるのだろう?
金子光晴なんて、ちょっとでもお金ができると、すぐ使ってしまってまた貧乏になる。つまり全然懲りてない。しかもあくせく働くというわけでもなく、割とのらりくらりと暮らしている。
なのになんとか生きていっている。
これが昔の人の底力というものなのか?
この“ギラギラとした生”といった風の作品をきちんと読みたくて、「どくろ杯」を全文読みたいなと思った。
ただ改行も少ないし、決して読みやすい文章ではないのが玉にきずなのだが…


金子光晴 「金子光晴 ちくま日本文学038」 2009年 筑摩書房

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