なんでタイトルは『竜』なのに、本の中では『龍』なんだろう:高橋克彦 「竜の柩4 約束の地編」


さくさくと最終巻まで読み終わってしまった。面白かったー
最後までイシュタルがどんな姿なのか、あんま想像できなかったけど。
一巻・二巻を読んだ時は、このまま古代史の新しい見解がテーマになるのかと思ったら、UFOに乗って飛び出したのにはたまげたけど。
全体的に見たら、キャラクターの書き方がいいわけではないし(平凡なキャラクター像にあり得ないくらい杜撰な女性キャラの書き方)、心を打つ話でもないし、情景描写も素晴らしいわけではないけれど、これだけすいすい読めるということはエンターテイメント作品として合格点だと思う。
話の筋とは関係ないが、気になったところ;

日本人ほど悪霊の扱いに巧みな民族はいない。キリスト教における悪魔は、どこまでいっても邪悪な存在でしかない。なのに日本人は悪霊と共存するばかりか、別の機能を持たせて善の神にまですり替えてしまう。大変な才能だとは思いませんか。よく言われる日本人評に『曖昧さ』が挙げられますね。当然なんだ。日本人は悪霊さえ認めてしまう民族なんだから。江戸時代に勧善懲悪物の芝居や小説が流行したのは、皆がそうだったからじゃない。反対ですよ。したくてもできなかった人間ばかりだったので、ドラマや小説の中には勧善懲悪を求めたんです。

(p131)

前半の部分は他の人もよく言っているので目新しいわけではなかったけれども、勧善懲悪物の解釈が(いささかこじつけ感もないこともないが)、なるほどそう取れるか、と思ったので。
それはさておき、肝心なる物語はというと、虹人たちは4千年前の日本を見ることで、やっと自分達が4千年前の地球に来たことが分かった。
その日本でタイムマシーンを見つけることもできたのもあって、一旦シュメールに戻り、イシュタルたちと牡牛族と相対する。

未来人の到来による歴史の改ざんは、必ず出てくる問題点となるが、本作でもそれが問題となる。虹人による古代史の読みをベースに、牡牛族のブトー(スサノオ)と協定を結ぶよう働きかける。
やれやれめでたし、元の世界に戻るぞ、となった時に、鹿角は虹人に自分のロレックスを託して、縄文時代に残ることにしたのだった。
もともと重要キャラだったのにこの頃目立たなくなったから、最後に華を持たせてやろうかな的だ、なんて意地の悪いことは言わないけれども、キリスト教幹部でいながら龍を追い求めた人物としては、妥当な終わり方だったと思う。

さてさて、これで終わりかと思いきや、続編があるとのことで、それももらったので続けて読むとするか。


高橋克彦 「竜の柩4 約束の地編」 平成9年 祥伝社

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