“たまのひつぎ”を“れいのひつぎ”と読んでしまう: 高橋克彦 「霊の柩(下) 交霊英国編」


ついに読み終えた“竜の柩”シリーズ。
正直「霊の柩」の方が好きだったな。まぁ それを楽しむのには「竜の柩」は必読だけれど。
霊媒師に会うのを目的にイギリスへ渡った虹人たちは、偶然にも船で出逢ったイギリス人の家に厄介になる。

なんと彼の家こそ幽霊邸だったのだ!
例によって例の如く虹人の知識によって、その幽霊を退治することとなるのだが、その一環で霊媒師と出会い、ついでにコナン・ドイルとも出会い、その霊媒師を通して鹿角とも出会う。
なかなか“霊”に対する見解が面白かった。
曰く、霊というのは時間の感覚がなく、未来や過去にいけるに違いない。生霊と呼ばれているものの大半は、実際に生きている人から出たのではなく、死んだ人の霊が過去に戻ったのではないか?

「もともと幽霊は時間を飛び越えられる。江戸の人間の幽霊となれば百年以上も前の存在だ。それが大して歳も取らずにわれわれの前に姿を見せる。ってことは時間旅行者と一緒じゃないか。…(中略)…
それができるなら、未来ばかりじゃなく過去にだって行き来ができてもおかしくはないさ。そのことに今までだれ一人として気付かなかったのは、それが幽霊であるかどうか確かめようがなかったからんだ…(中略)…
たとえば、目の前にマリリン・モンローが居るとしますよね。…(中略)…
彼女がそう言って自己紹介する。われわれは彼女が死んだことを知っている。だから幽霊だと直ぐ分かる。しかし、この船の他の連中にはそれが分からない。…(中略)…相手が幽霊であることの確認は、観ている当事者たちが、その相手が死者であるのを承知しているということが条件なんだ。山崎君たちのことがいい例だ。南波さんは二人の死を確認している。だから幽霊と直ぐに分かった。けれど、あの旅館の人間たちは二人を知らない。見たとしても幽霊とは思わない。たとえ廊下で消えたのを目撃したところで、その前に死んだ人間だと考える。まさか未来から出現した幽霊だなんて想像もしない」

(p70-71)

面白い幽霊考だったので、長々と抜粋してしまったが、物語はというと、最終的に現代に戻ることができてメデタシメデタシとなる。
幽霊になった鹿角と仲良く事件を解決するのとか大変面白かったので、こういう話も(幽霊と霊現象の解明とか?)ありだなと思った。「竜の柩」の前半では敵同士だったのに、時空を飛び越えても仲良く冒険というのがよかった。
こんな夢中になって読んだシリーズが終わってしまって、ちょっとさびしい気もしないでもない。


高橋克彦 「霊の柩(下) 交霊英国編」 平成15年 祥伝社

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