らしくない作品が転換期の作品:フェルメール《取り持ち女》

フェルメールというと《真珠の耳飾りの少女》や《牛乳を注ぐ女》のように、光の扱いが巧みで精緻な描写の絵を思い浮かべると思います。
描かれている内容も、穏やかな光の中で、女性が静かに牛乳を注いでいたり、手紙を読んでいたりと、日常のささやかな動作が美しく描写されていて、フェルメールに魅了される人が多いのも事実でしょう。

そんなフェルメールですが…

何かの折に、この《取り持ち女》を見て、フェルメールらしくない作品にびっくりしました。

《取り持ち女》油彩・キャンバス 1656年 143 x 130cm ドレスデン、絵画館蔵

他のフェルメール作品比べて大きいうえに、この描かれている内容よ!

しかし、この作品こそがフェルメール作品の転換となる作品と知って二重にびっくりです。
ということで、どういったところが転換期の作品なのかを見ていきましょう。

フェルメールの生涯概略

フェルメールの簡単なプロフィールです。

フェルメールは現存する作品数が非常に少ないことで有名で、32~36点と言われています。
この4点のひらきは、つまりはフェルメールの真筆かどうかが研究者によって意見が分かれるところにあります。

更には、年代が書かれている作品はたったの3点しかなく、今回のテーマとなる《取り持ち女》はそのうちの1つになり、そういった意味でも重要な作品となります。

フェルメールは1632年10月30日にオランダのデルフトで生まれました。
両親が宿屋兼画商を営んでいたことをきっかけに、画家を目指すようになったのではないかと言われています。
1647年15歳の頃に、おそらくデルフトを出て、画家になるための修行に出たのではないかと推測されています。ちなみにフェルメールの師匠は誰なのかというのも分かっていません。

1652年20歳の時、父が没したのをきっかけにデルフトに戻ったのではないかと言われています。

翌年の1653年12月に、親方画家として聖ルカ組合に登録し、独り立ちを果たしました。

1662年にデルフトの聖ルカ組合史上最年少で理事に選ばれるほど、デルフト内で、また国外においても名声を得ます。

しかしオランダ周辺の列強諸国が力をつけてきて、国情が悪くなるとフェルメールの画業にも影響が出てきます。
つまり、絵の需要が落ちてしまったのです。
裕福であったフェルメールの義理の母の財政も悪くなり、フェルメール一家は苦境に立たされます。

そんななか、フェルメールは健康を害し、1675年43歳という若さで亡くなるのでした。

《取り持ち女》という作品について

この作品はフェルメールの初期の頃の作品にあたります。

赤い服を着た男が、黄色い服を着た女性(娼婦)にお金を渡しており、その横で黒い服を着た”取り持ち女”が微笑みながら二人を見ています。
画面左側にいる、グラスを持ってこちらを見ている男性はフェルメールの自画像ではないかという説もあります。

いわゆる娼館の一場面を描いているような作品ですが、聖書の「放蕩息子」の話をモチーフにしているのではないかと言われています。

「放蕩息子」の話とは

新約聖書のルカによる福音書15章11-32節で語られる、キリストのたとえ話。

裕福な父親から生前贈与で遺産をもらった息子が出奔し、放蕩のかぎりをつくしてすっからかんになって戻ってくるが、父親は怒ることなく赦すというお話。

《取り持ち女》は放蕩息子が放蕩中の1場面と考えられる。

なぜ《取り持ち女》は重要な作品なのか

これ以前には、フェルメールは宗教画や神話を題材にした、いわゆる”物語絵”を描いていました。
それは、画家として名をはせるのは”物語絵”の方が高尚だと思われていたからです。
そのため、同時期の巨匠レンブラントも”物語絵”を描いています。

しかしオランダは、他の国のように王侯貴族がいなければ、カトリックではなく宗教画を飾ることを厭うプロテスタントの国でした。
つまり、”物語絵”の需要は他の諸国よりも低く、”風俗画”の方が人気だったのです。
更に、フェルメールが拠点と定めたデルフトは、レンブラントの住んでいたアムステルダムより栄えていなかったのです。

こういった事情から、この《取り持ち女》から”風俗画”へと転換していくことになったのです。
つまり、《取り持ち女》は、今日われわれがフェルメールと言われると思い起こす、あの素晴らしい風俗画のはじまりとなった作品なのです。

「放蕩息子」を題材にしているだろうと言われていますが、”娼婦にお金を渡す”という日常をとらえた、風俗画に限りなく近い作品になっています。

さらに、この作品には後のフェルメールらしさを垣間見ることができます。

たとえば、テーブルの絨毯柄によって画面を分割する方法は、《絵画芸術》などに見られる大胆な画面分割に通ずるところがあります。

また材質間の違いを描き分けようとする傾向が見られ、例えば女性の黄色いジャケットなど明るい部分は厚塗りで、同じ女性が手に持つグラスは薄塗にして透明感を描き出そうとしています。
これは言うまでもなく、フェルメール作品の最大の特徴にして魅力である、描かれているモチーフの質感の描き分けの萌芽と言えるでしょう。

ちなみに、こうした描き分けの技法は、レンブラントやレンブラント画派の作品を意識したもの、という見方もあります。
当時、デルフトとアムステルダム間の交通機関は拡充されており、実際にフェルメールがレンブラントやレンブラント画派と接触があったかどうかは記録にありませんが、レンブラントの弟子がデルフトにいたのは間違いないそうです。

何はともあれ、異色のように見えたこの作品が、フェルメールが方向転換をはかった重要な作品とはびっくりですね。

参考文献とおすすめの本

小林賴子『もっと知りたい フェルメール』2017年、東京美術

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だけではなく、各年代にそって主要となる作品をベースに、フェルメールの作風の変遷を解説してくれています。
また、フェルメールの真筆についても面白いです。

アーサー・K・ウィーロックJR『フェルメール』川江光彦・訳、1982年、美術出版社

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