日本ではマイナーだがイギリスでは超人気:コンスタブル

ジョン・コンスタブル(1776-1837)

イギリスに住んでいた頃、アート系の番組を見るとよく聞くのが「コンスタブル」でした。
たぶん、ターナーよりもよく取り上げられていたんじゃないかと思うくらい。

一方、日本ではターナーの方が断然有名だし(それでもゴッホとかに比べると知名度は低いかもですが)、あまり目にすることもなく。
ところが最近、続けざまにコンスタブルを見ることがあって、今更ながら、なかなか素敵じゃない…(割と上から目線)と思い。

興味を持って調べてみたら…

結構、素敵な性格をされているんですよ!!!

どちらかというと、作品と作家の人間性は切り離して考えたい派なんですが、コンスタブルはこのちょっとヒネた性格にやられました。

どういったところがズキュンポイントだったかというと;

  • 流行なんて知らん!好きなものを描くんじゃ!精神
  • フランスのラブコールには塩対応
  • 幼馴染の恋からの…

それでは、日本にはあまり書籍もないコンスタブルについて、上のズキュンポイントを中心に紹介していきたいと思います!

画家になるまで

何かとターナーと比べられるコンスタブルですが、それもそのはず、同じイギリス出身の風景画家というだけではなく、年代も同じなのです。
ターナーが1775年生まれに対し、コンスタブルは1才下の1776年生まれ。

しかしターナーとはまったく異なる画家人生を送ることになります。

ターナーは早熟で、わずか14歳でロイヤル・アカデミー・スクールに入学し、史上最年少の27歳でロイヤル・アカデミー正会員に選出されたのに対し、
コンスタブルは43歳までロイヤル・アカデミーの準会員になれず、更に正会員になるのに10年もかかっているのです。

これで分かるように、ターナーは生前から世間に認められ、それこそ高額でコレクター達に購入されていたのに対し、コンスタブルはまったく売れないという不遇の時を過ごします。

境遇もかなり違っており、ターナーはロンドンの理髪師の息子で、決して裕福な家ではありませんでした。ですので、才能を見込んだ父親の後押しもあり、早い時期から”絵で稼ぐ”ということをしています。

対してコンスタブルはサフォーク州イースト・バーゴルトの裕福な製粉業者の息子でした。
そのため、一生を通してなんらかの形で、最初は父親から、父親の死後は後を継いだ弟からお金をもらっています(といっても大金ではなく、暮らしていけるくらいの金額だったようですが)。

コンスタブルがはっきりと画家になりたいと思ったのは、絵画のコレクターであり鑑定家でもあったジョージ・ボーマンド卿にクロード・ロランの絵を見せてもらってからでした。

因みに、このクロード・ロラン、ターナーも絶大なる影響を受け、自分の作品をクロード・ロランの絵と一緒に展示すべし、と条件を付けているくらいです。
そんなクロード・ロランの絵はこんな感じです(これがそうなのか、確証はないですが、コンスタブルが見せてもらった絵と同じタイトルの絵です)↓

Claude “Landscape with Hagar and the Angel” 1646 Oil on canvas mounted on wood, 52.2 x 42.3 cm National Gallery, London https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/NG61

画家になると決心したコンスタブル。
しかし両親からは反対されます。
最終的には両親が根負けして、ロンドンのロイヤル・アカデミー・スクールで絵の勉強をすることを許すのでした。

流行なんて知らん!好きなものを描くんじゃ!精神

さて、ロイヤル・アカデミー・スクールを出たからといって、立派な売れる画家になるとは限りません。
まさにコンスタブルの絵はまったく売れず…

というのが、当時の風景画のはやりといえば、”ピクチャレスク”と言われる絵になるような風景が好まれていたのです。
上のクロード・ロランがまさにもてはやされていたもので、ターナーもピクチャレスクな絵をたくさん描いています↓

Joseph Mallord William Turner Dido building Carthage 1815 Oil on canvas, 155.5 x 230 cm Turner Bequest, 1856 NG498 National Gallery, London https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/NG498

ターナーといえば、あの印象手なぼやぼやっとした絵のイメージが強いですが、最初の方はこういう画風だったのです。
因みに、この絵がクロード・ロランの絵と一緒に飾るようにと条件出しした絵です。

一方、コンスタブルが同時期にどんな絵を描いていたかというと…

John Constable “Flatford Mill (‘Scene on a Navigable River’)” 1816-7 Tate, http://www.tate.org.uk/art/work/N01273 CC-BY-NC-ND 3.0 (Unported)

今見るとまったく悪くないし、これはこれで素敵な絵ですが、上のターナーの絵がはやりの絵だとすると、なんとも地味な絵に見えませんか…?

コンスタブルは地元サフォーク州の村の、どこでも見られるような人間臭い、緻密な情景を描き続けたのです。
まさに「流行?は?なにそれ。」な精神ですよね。

因みに、コンスタブルの親友フィッシャーは、コンスタブルに宛ててこんな手紙を書いています(1812年)

ただ見ているだけなら、それは感じの良い絵です。
しかし人の心を奪わなければならないのです。
この絵は色気がないのです。
そしてこのことは君のすべての作品に当てはまるし、君が人気画家になれない本当の理由だと思うのです。

ジョン・ウォーカー『コンスタブル』阿部信雄訳、美術出版社、1979年

な、なかなか辛辣…でもこれでこそ良い友人ですよね。

そして何も親友だけが心配しているわけではありません。
何よりも両親が心配していました(そらそうだ)。

売れる絵を描くように助言し、それを聞き入れたコンスタブルは肖像画や宗教画を描いたりもします。
しかしどうも好きになれない…ということで風景画にまた戻っていくのでした。

さすが我らがコンスタブルです!

因みに、肖像画の腕前はなかなかでしたが、宗教画は割とへたくそでした…
コンスタブルの名誉のために載せませんが、ご興味のある方は下の参考文献に載せている『コンスタブル』をご参照ください。

フランスのラブコールには塩対応

1819年、コンスタブルは転機を迎えます。

John Constable “The White Horse” 1819 Oil on canvas, 131.4 cm × 188.3 cm, Frick Collection, New York

この作品が好評を得、ロイヤル・アカデミーの準会員になれたのです。
ちなみにフィッシャーが購入しています。

更に…1921年。

John Constable The Hay Wain 1821 Oil on canvas, 130.2 x 185.4 cm Presented by Henry Vaughan, 1886 NG1207, National Gallery, London https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/NG1207

この作品をロイヤル・アカデミー展に出展したところ、イギリスでは売れなかったのですが、この展覧会にフランス人が来ており、このフランス人が感激しパリで話題になります。
翌年、そのフランス人に請われてルーブルに出展すると、大好評を得ます。

なんと、あのドラクロワもこのキラキラ輝く光線と荒々しいタッチ、そして鮮やかな色彩に感動し、『キオス島の虐殺』のすべての部分を描き直したと言います。

フランスでは「風景画の救世主」とまで言われます。

何がそんなにセンセーショナルだったかというと、上のクロード・ロランやターナーの絵を見て分かるように、当時の風景画は茶色っぽい絵だったのです。
それは古い絵画に倣ってのことで、今でいうと、インスタとかでセピアフィルターをかけていたようなもので、それが良いとされていたんです。
前述の通り、それが「ピクチャレスク」だったんですね。

ところが、はやりなんて知ったこっちゃないコンスタブルは、現実的な風景…つまり美しい緑の葉や、ドラマチックな空をキャンバスに写し取ろうとしたのです。
今でこそ、現実の風景を写し描くことこそが風景画、というイメージですが、当時にとっては衝撃的で、その後、その精神はバルビゾン派や印象派へと受け継いでいきます。

と、このようにフランスでは大絶賛のコンスタブル。
フランスの画商から、フランスに来ないか、と打診されます。

それに対して…

フランス語しゃべらないし行かない。

海外で金持ちになるくらいなら、イギリスで貧乏である方がいい!

ちょ…!さすが、安きに流れないコンスタブルさん…

やはり、コンスタブルとしては、母国であるイギリスで受け入れられたかったんでしょうね…

因みに、上で現実を描いたのでうけた、と書きましたが、実はコンスタブル、後の印象派の画家たちのように屋外で作品を描いていたわけではありませんでした。
屋外でスケッチをし、この屋内のスタジオでスケッチを元に構成しなおし、ある意味虚構の風景画を描いていました。
写真もない時代に、スケッチのみでこんなリアリスティックに描けるの、すごいですよね…

幼馴染の恋からの…

Maria Bicknell, Mrs John Constable 1816 John Constable 1776-1837 Bequeathed by George Salting 1910, Tate http://www.tate.org.uk/art/work/N02655 CC-BY-NC-ND 3.0 (Unported)

はい、この方がコンスタブルの最愛の妻、マリアさんです。

コンスタブルはマリアに24歳の時に出会いました。
24歳だったら幼馴染ではないって…?ま、そうなんですが、その時のマリアは12歳。
そういう意味でマリアにとっての幼馴染と言っていいでしょう。

出会って9年後に恋に落ちた二人でしたが、マリアの家族、特に祖父に猛反対されます。
コンスタブルの両親も反対せずともサポートもせず…なにせこの頃、コンスタブルは売れない画家ですから…

しかし1816年にコンスタブルの両親が亡くなり遺産が入ると、やっとマリアと結婚できたのでした。

幸せな結婚生活を送っていた二人は、7人もの子宝に恵まれるのですが…1828年にマリアは結核で亡くなってしまいます…!!!

悲しみに沈むコンスタブルは、以後、いつも黒い服を着ていました。

コンスタブル自身も、ターナーほど長生きせず、1837年に61歳で亡くなります。
晩年のコンスタブルは、風景画の歴史についてなどの講義を行い、それがとても好評で生徒に好かれていたそうです。

おしまいに

いっけん、偏屈にも見えるコンスタブル。

ターナーと違って経済的余裕から来るのんきさとも取れるかもしれませんが、やはり画家としては経済的な問題を抜きにしても、「売れない」「認められない」というのは苦しいことだったと思います。

それでも己の信念を貫き、好きなものを描いたコンスタブル。
なかなか魅力的な画家ではないですか?

参考文献

ジョン・ウォーカー『コンスタブル』阿部信雄、美術出版社、1979年

日本でコンスタブルについての本と言ったら、これしかないんじゃないか…?という感じ。
ちょっと古いけれども、このジョン・ウォーカーさんのコンスタブル愛が深い故のターナー批判が結構面白い。

以降、各美術館のホームページ。
特にナショナル・ギャラリーは”The Hay Wain”の説明動画もあって(説明するキュレーターの方がめっさ可愛い)、分かりやすいです。

最後のサイトは、ちょっと何の団体か分からないけれども、コンスタブルの作品が網羅的に見れます。


本当は他の美術館にも説明があるけれども(それこそ全イギリスの美術館と言ってもいいくらい)、重要な作品を持つ美術館3館を載せました。

おまけ

日本で人気がないコンスタブルと紹介しましたが、なんと今(2021/3/19)、コンスタブル展が東京の三菱一号館美術館で開催されています!!!

テートギャラリーの作品がたくさん来るみたいですね!
2021年5月30日までみたいです!
機会があればぜひ!
(私も行きたいけど、東京に行く機会がなかなかだな…)

今日も長々お付き合いいただき、ありがとうございました!

コメント

タイトルとURLをコピーしました