ちくま文庫の作家別になっているシリーズで、内田百閒を読んでから内田百閒が好きになってしまったので、図書館で借りて来てみた「第一阿房列車」。
やっぱり面白かった!
この本は、内田百閒先生がなんの目的もなく(←ここが重要)電車に乗ってどこかへ行くのが綴られている。
本当に何の目的もなく、しかも目的を作ってはいけないということで、人にも極力会わない。
鉄道関係者という“ヒマラヤ山系”君をお供にして日本各地津々浦々行くのだが、やっぱりこの洒脱な感じといい好きだな~と思わせた。
本書で収録されているのは以下の通り;
・特別阿房列車 東京 大阪
・区間阿房列車 国府津 御殿場線 沼津 由比 興津 静岡
・鹿児島阿房列車 尾ノ道 呉線 広島 博多 鹿児島 肥薩線 八代
・東北本線阿房列車 福島 盛岡 浅虫
・奥羽本線阿房列車 青森 秋田 横手 横黒千 山形 仙山線 松島
内容は特にないので、好きな文章を書き連ねてみようと思う;
随分大きな駅をどんどん飛ばしているが、そう云う所のちらちらするあかりが、棒の様に長くなって飛んで行った。胸をすく様である。しかし汽車の窓から見るより、駅にいて通過列車を眺めた方が面白い。地響きが近付いたと思うと、大きなかたまりが、空気に穴をあけて、すぽっと通り過ぎてしまう。
(p39)
懸念仏の禿げを見ても、私はちっとも珍しくないし、新鮮な感興も起こらない。彼は学生の時分から已に頭の毛が怪しかった。同級の彼の友達に、偕に禿げるかと思われた相棒がいたが、その方は東京にいるけれど今以ってうろうろした毛が頭をおおい、苟も禿げを見せていない。
(p223)
他にも描写がきれいなところがあったのだが、今は見つからず。
それにしても山系くんをお供にしているわりには、随分な云いようで、どぶ鼠のようだ、から始まり、特別阿房列車にて宿で汚い部屋に通されたのは
玄関でお神や女中の出迎えを受けた時、先方は商売だから、こちらの人相、風体、持ち物などを見るのだろう。人相は、私自身の事は棚へ上げて置くとして、山系はどぶ鼠で、持ち物は二人共通の小さなボストンバッグが一つ。その外に私が竹のステッキを持っていただけで、後はなんにもない。そのボストンバッグが甚だきならしく、山系が持って来たのだが、死んだ猫に手をつけてさげた様で、丸で形がない。女中が、はいお荷物はお持ちしますと云ってひっさげたけれど、持ったら手がよごれそうであった。
(p160-161)
と山系くんのせいにされる。
百閒先生のお人柄も当然ながら、この山系くんとのやり取りも絶妙で、第二も是非読みたいと思った。
内田百閒 「第一阿房列車」 平成15年 新潮社
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