読んでから 未完と知ることの さびしさよ:吉川英治「新・水滸伝1」

歴史小説が読みたかったのと、吉川英治が久しぶりに読みたかったので、手に取ったのが「新・水滸伝」。全四巻のうち、まず第一巻。

さすが巨匠。文章がかっこいい。しかも、文章だけでなくて各章のタイトルがかっこいいのです。例えば、「蘭花の瞼は恩人に会って涙し(なんだし)、五台山の剃刀は魯を坊主とすること」など。

 内容はというと、やはり古典中国小説だからか、登場人物がやたらめっぽう多い。そして、「封じられた百八の魔星はどっと地上に踊り出た。やがて、その一星一星が人間と化して、梁山泊をつくり、天下を揺さぶる(背表紙のあらすじから)」って書いてあるから、すっかりその星とやらが、悪者だと思っていたのに、なんとなくそんなことない。だって、中国の皇帝徽宗は政を無視して風雅に生きるし、その下で働く徽宗のお気に入り高俅は悪くなっていくし…。

とりあえず、登場人物はかっこいいし、その描写もかっこいい。例えば、魯智深なんて結構好きだったりします。この人は元は提轄(憲兵)だったですが、悪者をこらしめていたら殴り殺してしまうわけです。それで追われた魯達は縁あって頭をまるめるわけです。ところが、酒は大好きでつい飲んでしまう。その中で、最初に飲んでしまうシーンがかっこいい。

 墨染めの法衣(ころも)を刎ねて、諸肌ぬげば、ぱッと酒気に紅を染めた智親が七尺のりゅうりゅうたる筋肉の背には、渭水の刺青師が百日かけて彫ったという百花鳥のいれずみが、春らんまんを、ここに集めたかのように燃えていた。
「……ううい。ああ、なんとよい眺めだ、絶景絶景。腹の虫も雀踊り(こおどり)しおるわ。……待て待て、まだまいるぞ」

p109

視覚的にかっこいい。

 次に寺子屋の先生だった呉用もいい。今孔明と呼ばれているけれども、こんなかわいい一面もあったり。子供達に、寺子屋は今日はおやすみ、というのを伝えるために書いたのが;

先生ハ今日
急用デ、オ休ミスル
オ習字ハ 家デヤルコト
遊ブ者ハ
蛙ト遊ベ
河へ落チルナ

p243

あと、キャラクター的には好きではない楊志ですが、賊に大切な荷を盗まれ、死のうかと思うところ。そこから生きよう、と思う過程が、さすが吉川英治、いい!!

 死の谷を見おろした刹那、楊志の胸には、過去三十年の自身の絵巻が、いなずまの如く振返られた。
 父母の面影が映る。弟妹の声が聞える。武芸の師、読書の師、およそ、この身を育んでくれた天地間のもの、ありとあらゆる生命の補助者が、ひしと、彼の袂をつかまえて、「なぜ、死ぬのか」「死は易いが、生は再びないぞ」と、引き留めているような気がした。
「ああ、恐い。意味のない死は、こんなに恐いものか。やはり俺は死にたくないのだ。意味を見つけたいのだ、死の意味か、生の意味かを」
 彼は急に、岩頭から後ろへ跳んだ。死神の口から遁れたように、以前のところへ戻ってみると、そこには醜い十六個の影が、まだ眼を白黒させたり口ばたに泡を吹いている。
「ばッ、バカ野郎っ」
満身の声が、ひとりで衝いて出た。すると急に、気がからッとしてきて、
「ようし、おれは死なんぞ。こんなやつらと心中してたまるものかい。そんな安ッぽい一命じゃなかったはずだ。後日、今日の匪賊どもを捕らえるのも一使命だし、あとの命は、どう使うか。そいつも、生きてからの先の勝負だ」
 ふと気づけば、あたまに失くなっていた自分の一剣が地におちていた。拾い上げて、腰に横たえ、空を仰ぐと、夜鳥の一群が、斜めに落ちていくのが見える。その方向を天意が示す占と見て、楊志は、何処の地へ出る道とも知らず、やがてよろよろ麓の方へ降りていった。

p308-309

続きをどんどん読んでいこうと思ったのですが、この一巻を読んでから気付いたのが、これは吉川英治の絶筆で、未完で終わっていた……。水滸伝の話をまったく知らない状態なので、まず完結してるのを読んでから、もう一回読み始めようかと思っているところです・・・・。
(新・水滸伝(一) 吉川英治 講談社 1989年)

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