盛者必衰の理をあらわす:吉川英治「吉川英治全集34 新・平家物語(三)」

住居が変わったおかげで、平家物語のフォーマットも変わってしまいました。おかげで3巻の半分よりなので、長さ的には短いです。(例によって上の画像とは版が異なります)

さて賊につかまって義経ですが、それは堅田の一味で、義経の叔父新宮十郎行家の仲間でした。そこで義経は叔父たちのたくらみを知るのです。まず、その時京都で悪名を轟かせていた義経とは叔父の息子で、平家方を煙に巻こうという叔父の策戦でした。そして、平治の乱の時に寝返って平清盛に仕えた、源三位頼政が実はこちら側だったということを知らされます。

それを知って驚いたのは義経と一緒にいた有綱(彼は草の根派でした)で、真相をただしに単身京都に行きます。そこで頼政や、父仲綱、その弟兼綱は、平家に仕えるふりをし、源氏勢には蔑まれながらも、虎視眈々と平家打倒の機会を狙っていたことを知るのです。その日のために、質素に暮らしつつ、兵具を貯蓄しながら… と涙をさそうお話なわけです。

義経の方はというと、影義経(叔父の息子)が弁慶によって捕らわれ、別当時忠(清盛の義弟)のもとに監禁されてしまいます。そこで立ち上がったのが行家率いる堅田軍団でした。しかしそれも惨敗に終わり、行宗(影義経)を救出できないおろか、行家は重症、多くの人が捕らわれたのでした。そこで解決に身を乗り出したが我らが義経。

捕らわれた面々とひきかえに単身のりこむのです。それに対して時忠は天晴れなやつ、と丁重にもてなすのでした。その時忠の邸で出会ったのが、義経にこれから深く関わる二人でした。一人は弁慶で、偽とはいえ義経を捕らえた手柄のために、ここに留め置かれていたのでした。そしてもう一人は、義経をもてなすために呼ばれた白拍子一団の中にいた静御前でした。

この弁慶との出会いが印象的だったので引用を;

 九郎はふち、廊の途中で、足をとめた。
 庭面の秋草は、もう枯れ伏し、銀鼠色の絹糸をくねらせたような遣り水だけが、その下を縫っている。所々の大きな楓が、紅を撒き、かなたの透かし牆(がき)の根には、かむろ菊が、ほの白い。
 その牆の木戸に、ひとりの大法師が立って、九郎の方を見ていたのである。先ごろから泊まっていた西塔の弁慶であった。大きな眼をした大法師かな、と九郎は思った。無遠慮に、自分の方を、なおもじっと見すましている。といって、べつに害意のある眼でもない。
 九郎はすぐまっ直ぐに歩き出した。
 絵ぶすまをはめこんだ一間には、時忠が、妻の帥ノ局や、美しい姉妹とともに、夜の食事を一つにと、かれの姿を待っていた。

p304

その後、時忠の計らいも空しく、清盛より打ち首の令が出てしまいます。そこで時忠は、義経を解放するふりをして、弁慶にその道で討たせることにします。でもそれは、平家の公達をだまくらかす策戦で、本当は解放してすぐに、娘に追いかけさせ、女物の被衣と女下駄やら紙片を渡させるのです。そこで平家方から逃げれたと思いきや、ある意味、だまされた弁慶が追いかけてきて、ここで有名な五条の橋での対面となるのです;

 下駄の音が、橋板を一と蹴りした。もとの所に九郎は見えない。九郎の位置は、弁慶の勘を狂わせた。…(中略)…
「あっ」
 弁慶は、両腕のしびれに身まで竦んだ。薙刀の柄を、塗下駄に、蹴られたのである。
 柄は、離さなかった。しかし、蛭巻にからみついた被衣は、次のうごきで妨げた。
 うろたえとともに、当然、相手の襲撃が予感され、かれの五体は、本能的な防禦のかたちに移っていた。しかし、狼狽はまたすぐ次の狼狽を、重ねていた。タタタタと逃げる跫音が、もう遠くにしていたからである。
「やや。……?」
 月に光る塗下駄の裏と、主のいない被衣がそこに見えただけで、当の九郎は、あたりにもいなかった。…(中略)…
「待てえっ。逃ぐるとて、逃がそうや」
 しかし、九郎は迅い。
 身についている鞍馬育ちの身軽さである。
 水を跳び、洲を走り、いつか四条河原を、東の岸へ渉っている。そこで、ふと立ちどまった。弁慶の呼ばわる声に振り向いた。そして執念ぶかくなお尾けて来る遠い影をみとめた時、かれは初めて、ニコと笑った。白い歯と片頬の笑くぼが、月の下でたしかに笑った。

p322-323

そうして義経は、弁慶を弁慶の母(前に義経に助けられて、義経に恩義を感じて付いて来ている)のもとへと連れて行くのでした。それから二人をそこに置いて、奥州平泉と向かうのでした。

京では地震がおき、それがきっかけとして、後白河院を中心にした平家打倒の動きが発覚します。それがきっかけに福原にいた清盛は京にはせ参じ、後白河法皇を鳥羽へ幽閉してしまうのです。一番のびっくりは、清盛の腹違いの弟、頼盛がその一味だったのです。しかし清盛は彼を許してしまい、そこに彼の甘さが出てしまうのです(頼朝や義経を助ける時点で充分甘いけど)。
最後の大きな事件は、以仁王の反乱です。

彼こそが頼政が頼みの綱としている人でした。以仁王に令旨を出させて発起するのですが、思ったよりも兵が集まらず、以仁王、頼政を初めとしたその一門はあえない最期を迎えるのです。
今回のツボな人は渡辺唱(となう)でした。彼は頼政の従者で、いつも頼政に「唱、唱」と呼ばれていて、主人の苦渋を共にしたのでした。そして頼政の自害後、主人の遺体と共に行方をくらますのです。

ちなみに彼の一門は全部名前が一文字です。競(きそう)とか省(はぶく)とか授(さずく)とか与(あたう)とか続(つづく)とか加(くわう)とか。嵯峨源氏、渡辺党の風習らしい。と、読んでふと思ったけれども、この渡辺党って、渡辺ノ綱の末裔か??彼も確か、源頼光に仕えていたのでは??

やっと頼朝が動き出しそうです。それまで延々と政子といちゃこらついていたおかげで、私の中では古風に言えば色情魔としか見えないのですが。かっこよくなることを祈りつつ、先に進もうかと思います。

(吉川英治 「吉川英治全集34 新・平家物語(三)」講談社、1981年)

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