なんとなく田辺聖子の源氏物語を読んでみたくて図書館に行ったのですが、それはなく、代わりに借りてきたのが「むかし・あけぼの」でした。
田辺聖子といえば、百人一首の本しか読んだことがなかったのですが、その中で、清少納言が好きだ、というくだりがあったのを思い出しました。
「むかし・あけぼの」は清少納言を主人公で、結構くだけた感じのお話でした。上下に分かれていて、上では中宮定子に仕える前から、ようやく仕えて可愛がれ、でもそうこうしている内に、定子の父君関白・道隆が亡くなり、息子の伊周の立場がどんどん悪くなるところで終わりました。
清少納言としては、中宮定子を心から慕っていて、その家族の繁栄を願う一方、伊周の政敵となる道長の人柄に惹かれつつもある・・・という立場でした。
この話の魅力的なところは、なんといっても、清少納言と人々のやりとりだと思います。
例えば、けんか中の頭の中将・斉信(ただのぶ)から使いが来て、何かと思うと、
「蘭省花時錦帳下」
とあって、「下の句はいかにいかに」と書いてある。それは白楽天の詩で、本当の下の句は「廬山(ろさん)ノ雨ノ夜、草庵ノ中(うち)」。でもそれを女手で漢字を並べても芸がないし、ということで、公任の歌
〈草の庵をたれかたづねん〉
p396
という句、筆も墨もとりあえず、火鉢の中の、消えた炭でもって書きつけて渡してやった。
それで頭の中将側はどうであったかというと
「…(中略)…頭の中将が『やはり清少納言と絶交すると、手持ちぶさたになっていかんな。ひょっとして、あっちから口を切ってあやまるかと待っていても、全く、鼻もひっかけないという様子で、知らぬ顔を押し通していて、しゃくにさわってくる。今夜こそ、はっきり白黒つけて、あの生意気で高慢の鼻を押っぺしょってやるか、それともこっちが折れるか、やってみよう』といわれたんですよ。それで以って、言いやる文句を、一同、相談の上、『蘭省ノ花ノ時』というのをえらんで送った。…(中略)…(使者が)これです、と出したのがさきの手紙だったもんだから、『さては下の句がつけられなくて返してきたのか』とみんな思い、頭の中将もそう思われたらしい。ところが、一目見るなり、頭中は、
p398-399
『うーむ。くそ、畜生!』
とあさましい叫び声をあげられるではありませんか。どうしました、とみんな走り寄っていくと、あの、
『草の庵をたれかたづねん』
というあざやかな返事でしょ。頭中以下、声もでないわけ。
公任卿の歌で、ちゃんと『廬山ノ雨ノ夜、草庵ノ中』という詩句をふまえて返している。この大ぬすっとめ、心にくい奴め、やっぱり隅におけないや、と大さわぎになりまして、この歌の上の句を私(宣方の君)に付けろ、と頭中はいわれるのですが、なんでつけられますものか、夜更けまで、皆でわいわいいいって、とうとうあきらめてしまったの。」
この間、関西と関東の話になって、関西人は会話自体を楽しむ、という話になりました。つまり、うまく切り返して、会話をぽんぽんつなげていかなくてはいけない、ということで、これはなんとなく、平安時代のこういう応酬から受け継がれているのかな、とちらりと思ったのでした。
(田辺聖子 「むかし・あけぼの 上 小説枕草子」 昭和61年 角川文庫)
コメント