「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」のもととなったドキュメンタリを見てみたい:米原万里「心臓に毛が生えている理由」

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」を読書会で紹介することにしたので、図書館に借りに行った時についでに借りてみた「心臓に毛が生えている理由」。
米原万里さんの作品2作目となったのだが、1作目が非常に面白く期待しすぎたせいか、「心臓に毛が生えている理由」はそこまでではなかった。
割と短いエッセイ(2・3ページ)が沢山入っているので、あたりはずれが結構あったのも原因の一つかもしれないが…

私にとってロシアはあまりに未知の場所なので(今まで興味を持ったことがなかったし)、ロシアの話や旧ソ連の下にいたころのチェコの話はやっぱり面白い。

例えば冬の雪は歓迎されるのに、秋口の雪は“白い蠅”と呼んで忌み嫌っている(まだ紅葉していない草木や黒っぽい地肌を背景に振る秋口の雪は、大群の蠅を彷彿させるかららしい)ということや、何度も同じ単語を反復するのは野暮だと思われているとか。

何度も同じ単語を…というのは、シンポジウムで通訳をしていた時に30分ほどのスピーチで50回以上は“ゴルバチョフ”と訳したのに、なんとロシア人のスピーカーが実際に“ゴルバチョフ”と言ったのは2・3回程度!
ではなんといっているかというと;「幼いミーシャ(ミハイルの愛称)」「スタブローポリ州の若き党第一書記」「ライサの夫」「チェルネンコの葬儀委員長」「新しい党書記長」「ペレストロイカの開始者」「グラースノ領」「上からの改革者」(p111)などなど…

確かにイギリスで論文を書いたときには、同じ単語を1ページで何度も使わないこと、と言われてたな。国によってその人に“教養があるかないか”を判定する基準が違うんだな、と思った。

そういうところは面白いんだけど、そこから日本批判に発展するのはどうかと思うのだ。
例えばゴルバチョフの話の後で、森首相(当時)という単語を言い変えなくてはいけないのけれども、“次々に浮かぶのは、「霞が関の蜃気楼」「鮫の脳味噌の持ち主」「滅私奉公の推進者」「日本を神の国と思い込むリーダー」”(p113)と続く。

別に普通に読んだら“あはは”という内容である(実際私も森首相きらいだったし)。
だけど書き方がなんだか勘に触るのだ。他のエッセイでも時々見られる、“日本はなんてだめなの!”と感じられる文章(しかも私の受け取り方が悪いだけかもしれないけど)が悪い風に取らせているのかも。確かに日本にもどかしく感じることがある。でも“日本は○○だからだめだ”じゃなくて“日本は○○だったらもっとよくなるのに”というのが読みたいのだ、個人的に。

それがなければ面白いんだけどなぁ~
(まぁ他の人にとっては、それが彼女の持ち味の一つとなるのかもしれないけれども)
例えばナショナリズムの意見は面白かった;

 だから愛国主義、ナショナリズムほど、あだや疎かにできない代物はない。A・ビアスは、『悪魔の辞典』で、
 「野心家なら点火したがる代物で、点火しやすくすぐ燃え上がるガラクタ」
 と言い当てている。
 ガラクタとは思わない。われわれ一人一人の心の奥底に、理屈では説明しきれないものの、まぎれもなく潜む火種だからだ。しかし、自然な感情だからこそ、声高に主張したり、煽ったりする人たちを、信用できない。性欲を煽るようないかさまで下劣な臭いがするからだ。(p62-63)

日本を離れ、どっぷりと国際社会に浸った人だからこその説得力の強いメッセージだと思う。
チェコの学校で募らせていた愛国心は、日本に帰って来てから期待してた分がっかりしてしぼんでしまったのだろうか?


米原万里 「心臓に毛が生えている理由」 平成20年 角川学芸出版

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